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不義理

駅の近くで前の会社の同僚にあることを伝えるために待ち合わせをした。

仕事が忙しいのか22時過ぎの待ち合わせになり、改札口から出てきた彼は
転職した仕事にまだ慣れずに苦労しているのか、
幾分か疲れた表情をしている印象を受けた。

余計に申し訳ない気持ちになった。

実はお話をしたいことがありまして。と言うと

内容は、多分わかっていますよ。社長から連絡が来たので。

と言われた。
もう彼の耳に入っていたのか・・・。

出張を翌日に控えていたし、時間がないということなので
駅近くのファミレスに行って奥の席を案内されると2人でドリンクバーを頼んだ。

色々と経緯はあったのだが、
その人は今の会社の紹介者で、結果的にコネ入社をさせてくれたいわば恩人だ。

不義理なことに今回そこを俺は辞めたのだ。

彼には入社先の社長から電話があったそうで、経過の詳細は語られてはいなかったようだけど
最後に、俺とはこれまで通り付き合ってくれ。と言われていたそうだ。

もちろんそう決断するに至ったのには、いくつか理由があった。
入社前に聞いていた営業として俺が販売促進する商材が、入社してから二転三転して変わったことだ。
商材で納得して入社していたので、俺にとってはこの事実は根幹を揺るがすようなことだった。

他にも朝礼で社員たちが1人1人絶叫していて、それが毎朝あり
この雰囲気は合わないなとドン引きをしていたこと。

他にもあったのだが、そこに決定的な追いうちをかけたのが胃の不調だった。
俺は、そこで続けていく自信を完全に喪失したのだ。

彼は「でも、多分やめるとは思ってましたよ」
と笑わずに静かに言った。

前回会った今月の初めは、まだやめるつもりはなく迷っていた時期だったのは事実だが、
紹介者に余計な迷惑をかけんと、いっさい胸の内は話さないでいた。

それだけに、どうしてそう思っていたのかとびっくりした俺は逆に
なぜそう思っていたのかと質問をした。

すると、俺が会社の社員が絶叫している特殊な朝礼の雰囲気が苦手だともらしたときにそう思ったのだそうで、
この人は本当にいつもながら相手の事を観察しているなと
見透かされたような気持ちになった。

実際はその時に俺がそうもらした言葉以上に、
その時の俺の雰囲気や表情でそう判断したのではないかと思った。
それくらい、この人は女性のように表情から察する能力に長けている人だった。

「だから、最初の3ヶ月は慣れるまでとにかく我慢をしてくださいといったんですけどね。
あそこは、金払いも良いし社長もいい人だし、いい会社だったんですよ。」

と無念そうに言った。

確かに給料は悪くはなかったのだけど、内容的なものもどうしても俺は折り合いがつかなかったのだ。
俺の場合は、仕事とは条件よりもある程度好きじゃないと続けられないのだ。

わがままかもしれないけど、性格的にこれはどうしようもないと言ってもいい。

その次にとても核心的なことを言った。

「○○さんは、人の話は聞くけど咀嚼をしないから。他人のアドバイスよりも自分で決めた結論をだしちゃう。」

「でもそれは俺と同じだから。 俺も人にどんなアドバイスをされても頑固だから自分で決めたことに
従っちゃうから。」

これは昔から母親にもよく指摘されていたことで、俺の根本的な欠点とも言えた。
頑固で妥協ができないのだ。

この人は、前から観察力が鋭いとは思っていたけど、ここまで本質を見抜いていたとはと俺は内心、恐れ入った。
そこまで俺という人間を深く理解して付き合ってくれていたのだ。

それだけに、裏切って申し訳ない気持ちになった。

本来なら、やめる前に相談をすべきだろうし辞意を表明した時点で報告するべきなのだが、
そうすると止められたり決まっていない仕事を心配されてしまうことはわかっていたので、
結果的に俺はこうしてしまったのだと思う。

結局、俺が選んだ結論は、好きだった経験職に復帰することで、程なくしてその転職が無事に決まった。

先のブログにレスしたYさんの「人生は好きなことをしたほうがいいよ。」という言葉が最終的に俺の背中を押す形になったのだ。
他にも以前の同僚や上司4人に相談をしたのだけれど、
4人とも好きなことをやったほうがいいよ異口同音に言ってくれたので、
その言葉は取った選択に少し不安だった俺には力強い応援になった。

社長は、これはタイミングだから仕方ない。気にしないでください。
その会社で力をつけたら、またぜひうちに来なさい。

と不義理をした俺に言ってくれて、男としての人柄の素晴らしさと器の大きさを感じた。

そういった言葉を大切にして頑張っていこうと思う。
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by masa3406 | 2013-04-27 19:26

胃の不調

仕事で千葉県に行って時間ができたので、去年同じ仕事で仲良くしていたYさんに連絡をしてみた。
Yさんは50歳で成人をした娘さん2人を持つお父さんだ。

元エンジニアだという物静かで知的なYさんとは、歳は離れているけど会社ではとても親しかった。
押しつけがましさや強引さとは無縁で押しが弱く、ガツガツとした営業とは無縁で、もの静かなところにも
シンパシーを感じたのかもしれない。

行動やたたずまいにもYさんには気品があった。
優しくて、笑みを絶やさずに穏やかで、全幅の信頼感が持てて一緒にいて安心できる人だったのだ。

仕事の愚痴を言い合ったり、聞き上手なYさんに話を本当によく聞いてもらったものだ。
遠方の時など、帰りに 待ち合わせてよく一緒に帰社した。

その後Yさんは、ほどなくして会社を辞めて派遣の仕事に就いて
その仕事の契約が切れたので、今は求職中とのことだった。

思い立って突然の電話の誘いにも、優しいYさんは快く応じて駅まで出て来てくれた。
そこから電車で1駅乗って
同級生が店長をしている、珈琲が美味しいという喫茶店に行くことにした。
ここまでが遠いので、はじめての来訪だった。

外は4月の下旬なのに5月のように暑く風が吹いていた。

電話では連絡を取りあってはいたものの、こうして会うのは1年ぶりだろうか。
再開した赤いポロシャツ姿のYさんは、柔和な以前と変わらぬYさんだった。
そんなところも安心感を与えてくれる人だ。

Yさん、この日 は午前中に都心に会社の面接で行っていたそうで、
その時に俺に連絡を取って話でもしようかなと思ってくれていたのだそうだ。
けれど、朝早いので仕事中に悪いかなと遠慮をして、そのまま
家に帰ってきたとのことだった。

何ヶ月も会っていなかったのに
2人とも会おうと思い立った日がたまたま同じだなんて、
こんな偶然ってあるんだろうか。

不思議な縁を感じた。

待ち合わせた駅から電車で1駅乗り、2人で友人が店長を勤める珈琲店に向かった。
同級生がよく訪れているので、そいつから情報をもらった道に従って歩くと15分ほどで到着した。

店に入ると、カウンターで働く友人と目が合うと、突然の来訪にびっくりした顔をしてから笑った。

庭園が見える木目調の落ち着いた店内で、平日の午後の時間帯だからだろうか
おしゃべりに来たような主婦で店内は賑わっていた。

郊外店なので、仕事の合間のサラリーマンが休んでいたり、PCで仕事をしたり
商談をしている都会とは随分と客層が違う。
友人は忙しそうにカウンターでなにかを作り続けている。

注文を女の子が取りに来る。
2人とも食べたあとなので、コーヒーと俺はミルクティーを頼む。

Yさんは、副業の投資で稼いでいるのでもうそんなにシンドい仕事はしたくないのだそうで、
そうなるとなかなかいい妥当な案件がないのだそうだ。
ここ最近のお互いの近況話をしたわけだけど、
俺は3月に突如として胃の調子が悪くなった話をした。

あ る朝、会社から地下鉄で移動をしていたら立っているのも辛くなって冬だというのに
冷や汗が出てきてめまいがした。
すぐに降りてホームのベンチで休んだ。

その日を境にみぞおちが重く、何かを食べるとすぐに下腹にガスが貯まるようになった。
消化が悪いせいだろう。便も柔らかくなり、
横になって寝ても鳩尾の張りで寝付けなかった。

空腹時、食後にかかわらず鳩尾が痛く胸焼けがするので、胃薬を1日に4包も5包も飲むようになった。
飲み続けていないと不快でどうしようもない。

いつも腹にガスが溜まっているような状態で下腹部が張る。
なにか最小限口に入れようとキッドカットを1つ食べただけで
ガスが貯まるのには閉口した。

そんな日が続いて、 症状をネットで検索すると胃癌がヒットした。
症状の項目を1つ1つ見ていくと、思い当たるところがいくつもあるではないか。
今まで長く続くような病気をしたことが一度もない俺は、不安な気持ちがもたげてきた。

これはそこいらの病院で診察してたらい回しにされている場合ではないと、
ネットで検索をして胃腸の専門の病院を探して診察してもらった。
最初は、エコーを撮ってもらい胃カメラの予約をした。
エコーでは不快感があるみぞおちを、やけに念入りに技師が見ているのを見て
不安になった。

胃カメラは予約が混み合っていて、最低でも2週間は待たなくてはならなくなり、
俺はその不安なあいだに様々なことを考え過ごした。

生命保険のこと 健康のこと 将来のこと 生きてきてチャレンジをしていないこと 
向き合わないようにしてきたこと。逃げてきたことを振り返った。

人は、いつまでも健康な今のままで将来を考え予見しがちであるが、
いつまでも健康でいられる保証などなく、ある日大病を患わないとも限らないことにを
この時はじめて感じた。

ある日、癌や大病になればそこで可能性が閉ざされる可能性もあるわけで、
何をするにしても健康であることに勝るものはない。

健康であれば、たとえそれが無理なことでもチャレンジはできる。

しかし、病気になれば、チャレンジをすることもできないかもしれない。

俺は健康って1番大事なことなんだとはじめて気づいた。
今まで言葉ではそれは知っていたけど、身をもって実家したのはこれが初めてのことだった。
健康であるだけでそれは財産で幸せなのだと。
そして、健康である今に何事かを成し遂げないと手遅れになりえるのだ。

予備校の講師がCMで、今でしょと言っているが
あれは、まさしく至言であると思う。

人生は、長いようで短く
どんな人間であれ先を予見することは不可能で、いまを生きるしかないのだと。

結局、胃カメラで検査をしたら癌どころか原因になりえるものは見つからず、原因はわからなかった。
胃が上に来ていてえずきやすいとは言われたものの、
胃壁はきれいだったのそうで、ピロリ菌が生息するような胃ではないとのことだった。
でも、確かに体調はある期間は最悪だったし、自分を振り返るいい機会になったと思う。

そして、生活習慣と己の人生を省みるいい機会になった。

俺は、体調を崩したこととそう思ったことをしみじみとYさんに話したのだけど、

そう。
健康がいちばん大事だよ。
だから、身体を壊したら元も弧もないよ。とYさんは言った。

Yさんは、もともと大 きな会社でエンジニアをしていたのだけど、
父親の介護のために会社を辞めざるえなくなって、長い介護生活を送っていた
経験があるので、健康の大切さについては知り抜いていた。

人生は、好きなことをしたほうがいいよ。
一度きりだからねえ。とYさんは言った。

俺の中で、決意が固まった気がした。

ふと友人を見ると、常連であろうお客さんが入ってくると
素晴らしい笑顔で声をかけている。

あいつ、こんなキャラだったんだ。
生き生きとして働いている。
彼の元気が従業員や店内に伝わってお店の雰囲気が明るいのだ。

Yさんの好きなことをしたほうがいいよ。と言ってくれた言葉が心により響いてきた。

Yさんの娘さんが新卒で就職をしたんだけど、
会社でいじめられて毎日泣いて帰ってきていたのだそうだ。

それを見ていたYさんは、辛いならやめてもいいんだよ。
と優しく声をかけてあげたんだそうだ。

その話を聞いていて、この人は本当に愛情にあふれていて暖かい人だな。と思った。
父親が大病を患うと会社をやめてまで介護を続けたようなお人柄だ。

前に愚痴を言って電話を切るときに、じゃあ頑張ってねと声をかけがちなところを

頑張らなくていいからね。
と言ってくれたときにハッとした。

思いやりがあるYさんらしかった。

帰りに電車の駅で別れる時に俺はYさんと握手をした。
俺も人にYさんのように余裕と愛情をもって接してあげられる人間になりたいと思った。
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by masa3406 | 2013-04-25 14:58

孤独感

めちゃイケの矢部と青木アナの結婚披露宴の特番を見た。
披露宴といってもあくまでもテレビの番組用で、あとちゃんとした式を行うんだろけど。

2人は幸せそうだったけど、番組の終わりの方で矢部と相方の岡村が
サッカーボールを使って練習のようにパスを出しながら、
結婚発表からよそよそしくなっていたお互いに本音をぶつけ合おうという趣旨の、
お互いのいいところを言い合うという場面があった。

岡村は心から祝福しているという言葉をそこで矢部にパスとともに
送っていたわけだけど、番組の最初からと同じで表情からどことなくさみしそうな印象を受けた。
俺にはそれが手に取るように寂しい気持ちが伝わってきた。

なぜか俺まで寂しい気持ちになった。

以前も同じようなレスをしたけど、
俺は小中高と男子校で昔からつるんでいた仲良しの友が何人もいた。
そいつらと大学時代や卒業してからも遊びに行ったり休日にドライブに行ったり、
ファミレスで飽きもせずに何時間も語り合ったりしたものだ。
ときに悩みや相談・愚痴をどれだけ聞いてもらったかわからない。

その時は、その男同士で好きなことを語り合ったり、冗談を言いあったりワイワイやるのが楽しかった。
いつまでもいつまでも、そんな楽しい時間や付き合いがこのまま続くと思っていた。

俺にとっては、そういう友達との絆やつるむことが、最大の楽しみやいわば心の支えだったのかもしれない。
幼い頃から親に否定をされて育った俺には、いつもこんな俺でも認めてくれて、
味方になってくれている、常に暖かい友達がいるんだという確かな安心感があった。

裏を返せば、俺はそれだけ自分の存在が心もとなかったのだろう。
自己肯定感がなくて、きっと自分に自信がなかったのだ。

ある日、母にこんなことを言われたことがあった。
高校の時に家で俺を否定する母親と口論になったときに
俺には深い絆の親友たちがいるから、
将来もいつでも遊べるしいつでも助けてくれるし孤独とは無縁だよと自信満々に言い返した。

それに対して母親は、あなたそんなのは今のうちよ。

みんな就職したり結婚して家庭を持てば、仕事や家庭を優先して遊んだり
付き合う時間なんて減るものなの。
そう思っているのは、あなたたちがまだ若いからで、一生続くことなんてないんだからね。
と小馬鹿にしたように全否定してみせた。

そんなことはねえと頭に血をのぼらせて必死に食いついて執拗に反論する俺に、
母親は、そうやって言ってなさい。あなたもそのうちにわかるから。

と勝ち誇ったような顔で言い放った。

それがここ何年かで現実のものとなった。

親友が1人 2人と結婚していくにつれて、
それを機に見事に結婚前の彼らとの付き合いが変わっていったのだ。

それまでは、今晩飯でも食わない?
週末遊びに行こうぜ
みんなでドライブに行こうぜ
野球を見に行こうぜ

こちらの思いつきのまま突然電話で誘ってもいいよ。
と2つ返事をくれた彼らが、限られた日しか付き合ってくれなくなった。

土曜日はちょっと難しいね。金曜日の飲みならいいよ。
ちょっと日曜日は無理なんだよね。

これまで即答だった彼らが、考えてから返答するようになり、時間が限られたりいろんな条件がつくようになった。

人によっては、会えるのが来月になることもある。
たまに相談したいときも、友達によっては今までのようにはいかなくなった。

彼らには、大事なものができて優先事項が変化したのだ。
背負う存在ができたのに、いつまでも仲良くお手てつないでの友達ごっこに浸っている場合ではない。

当然、彼らにも仕事もあるし、家族持ちの事情も理屈としては理解しているのだけど、
彼女から嫁さんになるだけで
ここまで付き合いが一変してしまうことは、独身の俺には想像がつかなかった。
子供ができると、ここからさらに付き合いが限定されることになる。

もちろんそんな事情はわかる。
付き合いが長いのに冷たいじゃないかなどと言うつもりもない。
形あるものは、人間関係であれ必ず変化をしていくのだから。

そこから後を追うように数人が結婚していき、俺もよく遊ぶ友達は、
独身の友達やジムの仲間。会社の独身の同僚と誘いやすい人へとだんだん変化をしていった。

既婚の友達とももちろん付き合っているけど、それまでにはなかった
出現した垣根に配慮しながらの付き合いになった。

そういう変化していく現実をとうに受け入れてはいるつもりだけど、
あいつを誘いたいな。と頭に浮かんだ時に
いや、家族持ちで悪いからやっぱりやめておこうと思いとどまった時など、
今でも俺はちょっぴり寂しい気持ちにならないわけでもない。

現実に直視すれば、いま遊んでいる彼らだって、いつまでこうして遊べるかわからない。
家庭を持たない男は、歳とともにだんだん孤独になっていくのだ。

いま俺は、それを身をもって実感している。

あのときの母の言葉は悔しいが現実のものとなった。

もう夫婦なんで。岡村さんすぐに気を遣うんで、
僕と同じような距離感でこれからは接してくださいと奥さんの青木アナを
受け入れてくれと新郎の矢部さんにお願いされる岡村さんの心もとない姿が、

男子校育ちで距離感がわからずに気を遣うので、
友人と友人の奥さんを交えた付き合いが苦手で避けてきた
俺にとっては、とても他人事とは思えずにいつまでもそれを食い入るように見つめていた。
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by masa3406 | 2013-04-07 08:46

歯医者

歯の調子が良くないので、仲良くしている同級生に相談をすると
小学校から高校までの共通の同級生が開業していて、そこに通っていると聞いて
最初に彼に仲介してもらって卒業以来連絡をしてみた。

電話に出た彼に一言どこが悪いの?と聞かれたので説明をすると
じゃあとその同級生の友達が治療を受ける同じ日の同じ時間に来るように言われたので、
駅で待ち合わせて一緒に行ってみた。

小学生の時に何度か彼の家に遊びに行ったことがあって、
その後も高校で部活が一緒だった。
高級住宅街にあるすごく大きなお金持ちの家で、床がワックスでピカピカにいつも
輝いていてツルツルで、そこでムーンウォークをするのが楽しみだった。
飼っている犬が、俺たちが遊びに行くと興奮して、
よくソファーの上に嬉ションをしてたのを憶えている。

けれども、中高では一緒に遊んだことはなかったし、
卒業後は結婚式や同窓会で会った程度なので、
いきなり連絡して仕事を増やして図々しいんじゃないかなとか、冷静に考えてみてちょっと気が引けた。

友達について行くと彼の開業する歯医者はオフィス街の駅前のビルにあった。
こんな街中の便利なところでやっているのか。
大したものだ。

待合室の受付の女性に診療の手続きを済ませると、先に友人が呼ばれて
しばらくして俺が呼ばれた。

待っていた同級生は、歯医者の先生といった貫禄と風格があった。
診療の椅子に座り最初に症状を説明すると
口の中を診て、じゃあまずレントゲンを撮ろう。
と言った。

レントゲンを撮ってから、再び診療の椅子に座ると
今日は歯石を取ろう言った。

俺は、もともと歯が丈夫で虫歯が1本もなかったのだが、
それを過信して高校を卒業以来1度も歯医者に行っていなかったので
歯石が溜まりに溜まって、とんでもないことになっているらしかった。
同級生は、それを器用な手つきでドリルで1つ1つ削ってくれた。

記憶では、彼は小学生の時から手先が起用で、プラモや図工の工作で
作った作品が秀逸だった。
プラモで難しい塗装もムラなくプロのモデラーのように完璧に仕上げていて、
こいつ器用だなあと小学生だった俺は舌を巻いたのを
今でも憶えている。

今は舌を巻いて歯石をドリルで削られている。

この展開が高校時代に予想できただろうか?
不思議なものだ。

彼は父親が歯科医で開業をしていたので、この道に進んだのだけれども
それとは関係なしに手先が器用だし天職だったのだろう。
こうして実家で手伝うのではなく、自分で開業までして成功しているのだろう。

他にも歯医者をやっている同級生はいるのだが、だいたいが親を手伝ったり
あとを継ぐかをして自分で開業している人は稀だった。

同級生が、虫歯ができているよ。と言って
そこを鏡で見せてくれた。
見ると少し黒ずんでいるところが数箇所あって、それが虫歯なんだそうだ。
虫歯は俺には無縁なことだと思っていたので、これにはショックを受けた。

これでしばらく治療に通わないとならなくなった。
削ってくれた歯石のあとは、いくつもの隙間ができていた。

診療が終わってから、彼は診療所を閉めてそのまま3人で飲みに行くことになった。

卒業以来彼と飲んだのは結婚式の帰りの1度だけだったし、
中高でも特に親しかったり一緒に遊んだことはなかったはずなのに、
小学校から一緒だった幼馴染だからだろうか。
部活が同じだったからだろうか。

彼のいきつけの小料理屋で3人で席に座っても違和感なく、
話すことはいくらでも湧いてきて昔話や
俺が前にしていた仕事の業界の裏話なんかしながら盛り上がった。

部活で彼はキャプテンだったのだが、初めて聞いたことだけど俺たちのポジションは個性派が多く、
まとめるのが大変だったそうだ。
俺もマイペースがゆえに彼にきっと迷惑をかけていたんだろう。

酒もつまみも進み、3人には小学生時代のような楽しい時間が流れていた。

こうして屈託もなくお互いに会話ができる同級生とはいいものだ。
最初に久しぶりすぎて気まずくないだろうか。と懸念していたことは杞憂だったようだ。

そうして話し込んでいると、彼がところでお前たちは結婚本当にどうするんだ?
とさっきまでとは違って、真剣な表情で詰問をするように聞いてきた。

彼は既婚で子供が2人いるのだが、俺のことも友人から間接的に聞いていたのだろう。

俺の友達に心配するような顔でこれまでに何回も言われたことがあったけど、
今の同級生も同じような表情をしていた。

今の彼は肉食系で、女の人のネットワークが広くてたくさんの紹介候補がいるらしく、
いつ探すの? 今でしょ!ってことで
2人とも合コンに参加をすることがなぜか即決してしまった。

今までならごまかして断っていた俺だけど、ここは縁とせっかく世話を焼いてくれる
同級生の気持ちを大事にすることにした。

なにからなにまで、すっかり立派になった同級生に世話になりっぱなしの日だった。
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by masa3406 | 2013-04-04 07:24

距離

お花見に行ってきた。
一緒に行ったのはバイト先の20歳の子で、田舎から東京に引っ越してきてまだお花見をしたことがない
ということだったので、話の流れで一緒に行くことになったのだ。
普段のその子は穏やかな性格で、おっとりとして物静かで性格がいい子だなという印象を抱いていた。

待ち合わせは上野駅の公園口だった。
俺は車で出かけたわけだが、その日は平日なのに
春爛漫の天候で花見客が押し寄せたのであろう。
上野の周辺が渋滞で車がいっこうに進まない。

駐車場もどこも満車で、それならと待ち合わせ場所の公園口へと登る坂は車が連なって動いていない様子だ。
もうちょっと待っててくれと電話をするも、どうにもこうにもならない。

仕方なく不忍の池を抜けて裏から上野の山を登り、
ようやく空いている駐車場に停めたわけだが、そこが思ったよりも
待ち合わせ場所から遠く、東京芸大のある裏手から回って行くも30分近くも遅刻してしまった。

花見客で賑わう、穏やかな午後の公園口の文化会館の前でその子は穏やかに笑顔さえ浮かべて
じっと座って待っていた。
遅れたことを謝罪すると、待たせたことにも少しも怒らずに、
いいよ~ と屈託のない笑顔で言ってくれた。

上野の山の1200本はあると言われる桜は満開で、京成の駅の方向へと下りながら
平日とは思えないほどに訪れた大勢の人たちが思い思いに桜を見ていた。
人はきれいなものを見ると自然と笑顔になるのだろう。
見ている人たちの顔は、日頃のストレスも悩みも今日はどこかに置いてきてみんな笑顔だった。

その子も心からリラックスした表情で、満開の咲き乱れた桜を目の前にずっと笑顔だ。

桜が沢山あることや場所取りをして酒を飲んでいる人たちをもの珍しそうに見ながら、
お弁当でも持ってきたら楽しそうだね。とその子は言った。

そこから不忍の池に抜けて、同じく満開の桜並木が続く不忍の池のまわりを歩く。
歩きながら、何回か桜を背にその子に撮ってくれと頼まれてその子のスマホで撮ってあげる。

反対側の水族館側の池に浮かぶボートを見ていて乗りたそうにしていたけど、
残念ながらその時間はなかった。

弁天堂と言われる五重の塔の周りにはお祭りの屋台が沢山出ていて、
その子はニコニコしながら並々ならぬ関心を示している。

思えばこの道は、昔この近くの会社で働いていた時に上野駅から帰社するときの抜け道に
使っていた。
普段は、こんな賑わうお祭りの雰囲気ではなく、人もまばらで寂しさすら感じるその道を
夕刻時に俺はそこをくたびれた顔で歩いていたものだ。

あの頃から、何度も回り道をしながら相変わらず俺は不安定な人生を送っている。
正社員ではあるけど、将来への確固としたビジョンを持ててない俺は、
とても情けないことだけど、いまだに社会に対して心もとない漠然とした不安を抱いている。

まわりの友達は結婚して背負うものを背負い
仕事で築きあげたポジションに就いているのに
俺だけ何も変わっちゃいない。

焼鳥やお好み焼き たこ焼きと屋台が並ぶ中を
海のある田舎で育ったというその子は、きっと魚派なのだろう。
串に刺したタコを焼いている屋台の前で、これを食べたいと目を輝かせながら言った。

普段は肉派の俺は悩みながらもつぶ貝を頼み、池に面したテーブルと椅子が設置されたところで、
座って2人でそれを食べた。

中身から溢れ出る汁を垂らしながらイイダコにかぶりつくその子は、美味しいと何度も言った。
女の子なら嫌がるかもしれないのに気にしない様子に性格のおおらかさを感じた。

俺もつぶ貝にかじりついてみると思いのほか、コリコリして美味かった。
これ美味いよ食べてみ、とその子にあげた。

不忍の池と桜並木を見ながら食べるのもいいものだ。
お酒を飲みたくなるね。とその子は言った。

そこから再び上野の山の桜を見ながら登り、駐車場へと戻って
晩飯を食べに行くために車を走らせた。

車中で、その子の家庭の話や高校時代の話になった。
その子の父親はアル中で離婚をして母親と暮らしているらしかった。
高校時代から、夜の仕事を年齢を偽ってしていたそうだ。

父親のことに触れた時に、父親に対する大きな嫌悪感が言葉の端々から感じられて、
暗澹とした気持ちになった。
この子は、この若さにして本来はその年齢の子がしなくてもいい苦労をして、
心に深い傷を負ってきたのだろう。
1人で戦ってきて、見なくてもいい大人の世界を見て生きてきたに違いない。

話しているとジムの同じような年齢の子の素朴さとは大違いで、
大人びていて生き急いでいるような印象を受けた。

俺は、普段は穏やかで笑顔のその子の陰の部分を見た気がして、
桜を見ていた時と違って距離を感じた。

俺も高校時代は留年をしたり荒れていたこともあったし、背伸びをしていたこともあったけど、
ガキの男の純粋さや子供っぽい幼稚さや夢がふんだんにあった。
彼女からは、それとは違う大人の部分ともっと深い心の傷を感じたのだ。

もっと、楽に生きろよ。
もう頑張らなくていいよ。

と本当はその子には、言ってあげたかった。

けど、事情をよく知らない他人の俺がとやかく言う事ではないのでやめておいた。

それからレストランで飯を食べて、その子を送って友達の家に行って代表のサッカーを見た。
サッカーも負けてしまい
なんかどっと疲れた1日だった。
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by masa3406 | 2013-04-01 04:09