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ワンコの死

夜に友達と会って、朝に家に送って別れた。
昨日の嫌な事を忘れられて少し気がまぎれた。

別れた時刻は朝の8時すぎ。
まだ5月だというのに夏を思わせる強い日差しを受け、湿度の高さで、うっすらと汗をかきながら
一路東京へと戻る。
いよいよ俺の苦手な季節の到来を予感させた。

そして、都内に帰ってきて携帯を見ると
父親からメールが来ていた。

○○が亡くなりましたのタイトルに来たかと思う。

9時頃にワンコが死んだそうで、最後はかなり苦しそうにしていたけど
親父が膝の上で抱かれたまま亡くなったんだそうだ。

そのワンコは親父がとても可愛がって面倒を見ていたので、
最後は親父の腕の中で死ねて良かったのではないかと思う。
親父にとっても。

メールが来た時に ちょうど、お祭りをやっているところに差し掛かり、屋台が並び
笑顔の子供や人で賑わう華やかな喧騒の中でこのメールを見ると
よけいに実感がわいてこなかった。

悲しいという感情よりも、死んだのだ。という事実だけが頭に入ってくる。
感情がついてこない。

昨日、会ったばかりで突然だからか、あるいは徹夜で起きていて気分がハイになり
神経が麻痺しているからだろうか、
悲しいという感情に支配されることもなく涙も不思議と出てこない。

ぜんぜん実感が湧いてこない。

ただ1つ悔いるなら、

前日に会えたことは良かったと思うけど、昨日はもっといい最後に別れができていたらと
返す返すも残念に思う。

母親への怒りの感情にとらわれて、挨拶はしたけど、感情の整理ができないままに
別れの挨拶もそこそこに飛び出すように家を出ていってしまったから・・・。

母親と口論をしてるなかで、吠えていた姿に最後の最後に申し訳ないことをしたと思う。

昔も実家にいた時に俺と母親が頻繁に大喧嘩をすると、ワンコたちは居心地が悪そうな
怯えたような不安で困った顔をしていたものだ。
犬はこういうときは中立だった。

昨日は、お別れの挨拶をして静かに別れに浸りたかったのだ。
ワンコのことだけ考えたかった。

でも、後悔してもときは戻らない。

最後に会えからよしとしようと思う。

これから時間とともに実感がわいてきて、悲しい感情やさみしい感情がきっと後からついてくると思う。

もう実家には行かないので、残念ながら亡骸には会えないけど、
ワンコにはいろんな喜びや愛情を沢山もらって本当にありがとうと言いたい。

本日をもって3代続いたうちの犬は絶滅しました。

あなたたちのことは忘れません。

みんなありがとう

さようなら
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by masa3406 | 2013-05-26 12:58

悲しい最後

夕方に携帯のメール受信歴を見ると父親からのがあった。
開いてみると、飼っている犬がいよいよ危ないのでお別れに来てみては?
という内容だった。

実家とはあまり関係が良くない俺は、この前会いに行った時にこれが最後だろうなと覚悟をしていたので、
行くことに対して少し戸惑いを感じた。
けれどもひと目会えるならとその日は夜のバイトがあったので、翌日に会いに行くことにした。

メールでは詳しいことを聞かなかったので、どの程度危ない状態なのかわからなかったけど、
こちらからは何も聞くこともなく翌日の夕方に電車で実家に向かった。

犬には会いたいのだけど、あまり実家に行くのは気が進まない。
矛盾した気持ちから歩く足取りは重かった。

実家に着いて中に入ると父親がいてソファーで犬を膝に大事そうに乗せていた。
どんな感じ?と恐る恐る聞くと

ついに、自力で立ちあがることも歩くこともできなくなったらしい。
ふさふさした毛を背中側から脇腹にかけて触ってみると、前回は肉厚な感触だったのに
明らかなゴツゴツとした背骨の感触と浮き出た肋骨の感触があった。

あっ。と思った。 

今まで飼ってきた犬2匹が死んだ時も最後はガリガリに痩せていたし、
末期症状なのを実感した。
聞くと、水分も自力では取れなくて栄養も点滴のみとのことだった。
もう何日と生きれないだろう。

自力では生きられない状態で、人間が生きながらえさせて、かろうじて生きているような状態とも言えた。
これが自然界なら、とっくに死んでいるはずだった。

ケージへと戻されたワンコの頭をなでたり名前を呼びかけて見たけど、
なでられるままで俺の顔を見ることもなく反応に乏しかった。

鼻に指を近づけても、もう嗅覚がダメなんだろう。
クンクンと指に鼻を近づけてくることもなく、まったくもって反応をしなかった。
名前を読んでもそれに対する反応はない。

五感が鈍っていて、
かつて当たり前にしていたコミュニケーションと呼べるようなものはなにもできなくて、
俺から一方的に撫でることしかできなかった。

なでていると顔は穏やかだけど、俺だと分かっているのか分かっていないのかも、
こちらからはわからなかった。

顔を何度も自分で起こそうとしているけど、うまくいかずに何度も何度も起こしては落ちていくのを
繰り返していて、そこまで力が無くなっているのかと悲しさを感じた。

しばらくなでていると母親が帰宅してきて、父親が作っていた夕食ができたとのことなので食卓に座った。
母親とは不仲なので、これはあまりよい状況ではないと言えた。
この時間に来たのは、最大の失敗だったのだ。

しばらく食事をしていると、間が悪いことに母親が俺に対する不満や過去を蒸し返してきて吹っかけてきて、
ちょっとした口論が勃発してしまった。

母親は、まず自分が相手にぶつけたり言いたいことがあって、
それを相手に一方的に言葉を選ぶことなく情け容赦なしにぶつけることで発散をするタイプの人間だ。
過去まで蒸し返してきて、それも追撃の材料にしながら全力で傷口に塩を塗りたくってくるのだ。

言いたいことや見解は自己完結をしていて、決めつけであろうが、あくまでもそれを前提にぶつけて
押し通してくる。
しかもまたその言い方が、言葉を選ばずに身も蓋もなく辛辣で投げっぱなしだ。
言われる方にしてみたら人格からなにから全否定でサンドバッグで救いがない。
心が弱い人なら、傷ついて立ち直れなくなるほどの毒だ。

それに対する、言われた方の弁解や釈明。反論は一切聞く耳は持たずに、相手の話なんか聞きやしないし、
相手の気持ちなんかおおよそ奴にとっては関係ない。

だから、反論でもしようもんなら自己完結しているものに意見をされたとカチンと来て、
延々と一方通行の口論が続くだけで見事にまでの不毛な時間と化す。

奴にとっては、ただ言いたいことを言って。相手に認めさせればいいのだ。
不満をぶつけて全否定してオシマイだ。
小さい頃から一事が万事、こんな有様だった。
俺はそんないびつなコミュニケーションしか取れない狂った家庭で育った。

言いたいことだけ言うなら、壁に向かって話しているのと同じことだと思う。
人はもっと、相手への思いやりや愛情があって、言い方を考えて言葉を選ぶものなのではないだろうか。
ただ言いたいことや正論をぶつけるのは、人としてのコミュニケーションとは言えない。
気持ちがないのと同じことで、相手は救われない。

思えば、中学生高校生の時も、すべてがこういう一方的な話し方で、
俺の不満や言いたいことはなにひとつとして聞いちゃくれなかった。
学校も一方的に入れられた。
これで俺は、話にならんと中学生の時から心を閉ざし始めた。
こんな奴にどうせ言ってもなにも聞かないし無駄だ。と

今日は、せっかく犬の最後に会いに来たのになにもこんな時に。。。
少しは自我をこの人は引っ込められないのかと暗澹たる気持ちになった。

自分が自分が!すべてそれだ。
言いたいから言う。相手も状況も自分には関係ない。
この金持ちの家で、何不自由なく甘やかされて育った狂った女は、ただそれだけなんだろう。

気がつくと、もめている俺たちの不穏な空気でも察したのか、なにがそうさせたのかはわからなかったけど、
犬が声なき声でなにをうったえたいのか吠え続けていた。

その弱々しく泣き続ける声を聞いていて悲しくなった。
こんな死にそうな犬を静かに過ごさせてあげられないなんて。。。

すっかりまずくなってしまった食事を途中で切り上げると、ケージに向かってワンコに最後の挨拶をした。
ワンコを優しく優しくなでた。

父親が送ってくれると言ったけど断ってそのまま家に帰った。

俺は何か大きなものを望んでいたわけでもない。
ただ、普通のやさしい母親から生まれたかった。
能力は認めるけど、秀才だとかできる母親とかそんなものは俺にはいらなかった。

自分が正しくて相手は間違っていて。そんなのはもう沢山だ。

もっとワンコとちゃんとした最後を過ごしたかったんだけど
情けないことにこれが本当の最後になってしまった。
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by masa3406 | 2013-05-26 03:25

しょぼかった成人式の思い出

最近、店の子と飯に行った時に成人式の話になったのだが、
女の子にとっての成人式への思い入れは、それは凄まじいものがあるらしい。

話を聞いていて、
まあ、アメリカ人のバーベキューへの思い入れは凄まじいものがあるからな
のバーベキューのコピペを思わず思い出してしまったほどだ。
俺は成人式はまったく重要視をしてなくて、じつにしょぼい思い出しかなく、
一方ではここまで重要視をして、金と手間ひまを懸けている人たちがいることに驚いてしまったのだ。

その子が今年した話をしていたので、その流れでどんなことをするのかざっと教えてもらった。

成人式で着る振袖をさすがに買う人は少なくて、大多数はレンタルをするらしいのだが、
まず、貸衣装屋でレンタルでも1年くらい前に見に行って振袖を選ぶんだそうだ。
値段はピンキリなのだが、流行りの柄やクオリティにこだわるとどんどん値段が上がっていくという。

次に、成人式の当日は朝からセットに着付けと忙しく、ゆっくり写真を撮っている時間がないので、
前撮りという撮影を8ヶ月くらい前に行ない
本番さながらに髪をセットして振袖を着つけてもらい、写真のスタジオで撮るものらしい。
もしくは後撮りという、成人式の後で撮ることもあるんだそうだ。

それから、何ヶ月も前に当日の美容院を予約して、
当日に備えるのだという。

振袖も、ちょっとこだわるとレンタルだけで平気で20万円を超えるのだそうで、
その子は20数万の着物を借りたのだそうだ。
聞いていて、1日か2日借りるだけでそんなにするのかよ?! うへえ!(;゚Д゚)!と驚いてしまった。

女子は、一生に1度しかないその成人式の日のために
1年以上も前から金と手間ひまをかけて準備をして、その1日に懸けるのだという。
女子の一生に一度の記念と美意識は頭では理解できるけど、
男的には、よくわからない価値観だ。

ちなみに俺の仲良しの友達の実家が呉服屋で、そいつも以前実家を手伝っていて、
よく土日は展示会があるからどうとか言っていたのだけど、
多分、そういった成人式の人の対象の展示会にもそいつは出ていたんだろうなと
その話を聞きながら初めてイメージがついた。

男で成人式で気合を入れる人種は、よほどの目立ちたがりやのお祭り好きか不良くらいなものだろう。
成人式?なんだろうなあ。スーツでも着て参加するか。
くらいの認識で参加した人が大半だと思う。

男が、その次元で金と手間ひまをかけて、一生で髪型や服に気合を入れる時っていつだろうか?
結婚披露宴はほとんど男のほうが女性に合わせて仕方なくの半分義理で行うものだし、
自分にはとても思いつかなかった

はたして、俺にとっての成人式はその子に反して実に味も素っ気もないものだった。

小学校から東京で都心部の私立だった人間にとっては、地元の成人式ほど地縁がないものはない。
地元の学校に通っていないので、寂しいことに地元に友達や知り合いがほぼ存在しないのだ。
式に参加しても、かなりの高確率でぼっちになることは間違いなしだ。

俺は、小中高と都心の男子校だったので、地元の区には友達と呼べる存在が
幼稚園の同級生以外にほとんどいなかった。
女子の知り合いや女友達の存在など皆無だ。
誰がゴージャスな振袖を着てこようが、華やかであろうがそれはあかの他人でしかない。

小中高の同級生は様々な区や遠い人は神奈川 埼玉 千葉県から通ってきているので、
みんな各々の住んでいる地域の成人式に散り散りに分散してしまう。
俺と同じ区の奴は、学年でたったの2人しかいなかった。

しかも、高校で1年留年した俺は、20歳の時はちょうど浪人していて、
まさに2月から始まる受験本番の目前。
気分的にも、とてもそんなお祝い気分ではなかった。
受験生にとっては、志望校合格が最大のお祝いなのだから。

さらに浪人時代は地元を出て神奈川県に住んでいたので、成人式に出ても友達は愚か
知り合いも0の状態。
式なんて出てもぼっちで、そこはチンピラ風情が多い市だったし出席したところで見事なアウェー状態だろう。

そう思った俺は、役所から来た招待状の記念品の文字だけに惹かれて、
当日会場には行かずに記念品だけ取りに行ったのだった。

ちなみに記念品はアルバムだった。
なんだ、こんなものかよ。使い道がないなあ。
とがっかりしながら、トボトボと家に歩いて帰ったことだけを記憶している。

成人式に行った同級生何人か聞いたけど、面白おかしかったとか、みんなで騒いだという
話はなく、広い会場で知っている数人でなんとなく参加するお客様状態だったと聞いた。

それが、俺にとっての成人式だった。
だから、その子の思い出話を聞きながら、
なんか知らない世界の話を見聞きした気がして、少し羨ましく感じた。
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by masa3406 | 2013-05-18 08:27

アプリを開発して儲けるお

前にホットサンドとベルギーワッフルの店を開店したいと言っていた友人が、
それが資金調達が難しいということで頓挫をするやいなや、
すぐさま、今度はフランチャイズのとある商材をフルコミッションで売る代理店をやりたいとの路線変更を
俺に言ってきた。

実際に社長と面談をしてきたという
そのどう見ても胡散臭い内容と契約書の中身を見た俺が止めて
その話も立ち消えになっていた。

俺が止めてなければ、ハンコをついて、前金で70万円をぼったくられていたことだろう。
その時は、なんとか説明をして水際で食い止めることができたのだ。

これでしばらくは、おとなしくしているだろうと安心をしていたのだが、
この度またハイテンションのメールが届いた。

今度は、スマホのアプリ開発だという。

彼はごくごく最近スマホデビューしたのだが、多分にその影響があるのだろう。
自分でそう思って、プログラムの勉強をしに学校探しでもしたいと聞いてくるわけでもなく、
前回と同じで何かのセミナーで詳しく聞いてくるとメールには書いてあったので、
あいだに怪しげな会社が入っているに違いない。
どうせそこでまた金をむしり取られるシステムなのだろう。

純粋で感化されやすい彼は、また騙されているに違いない。

個人で開発できるみたいだから、やるにあたって向き不向きはある?
といった実に安直な質問があったので、
PCにも全く興味がなく、IT音痴の彼が凄く安易に考えているのが見て取れた。

おおよそPCをDOS上で操作をしたことが1度たりともない彼が、仕事をしながら今更1から言語を
独学で勉強して、自分でプログラムを組みアプリを開発するなど
実に突飛な話だった。

学生時代からDOS上でプログラムを組むのが好きでいじっている人間や
言語を知っているのなら話は別だが、
すべてをこの30過ぎた今から始めるなんて、ほとんど聞いたこともない話だ。

30過ぎといえば、もうSEになって指示をしているか、IT土方を辞めていく年齢だ。
俺の親友も今はSEになっている。

俺がシステム会社にいたのは大学を出て20代中盤の2年だけ。
でも、その前はプログラムの学校に通って言語も勉強したから、カスながらも多少はわかる。

長年の付き合いの彼で、無理やりアプリ開発のイメージをするなら、
IT企業の社長みたいにこんなアプリを作ってくださいと
イメージで発注をする方で、
どう考えても作る プログラムをする側の人間ではない。

彼は情報処理系の高校を出たわけでもないし、向き不向き以前に、まったく興味ないでしょと言いたかったのだが、
大きな本屋で言語の本でも見てみたら?
と言うにとどめた。
多分、見てうんざりするだろうとの目論見でだ。

思い返すと、彼に大学を卒業してすぐに
日曜日に遊びに行くという口実で誘われ、雑居ビルの中にある
成功哲学を教えるという自己啓発セミナーに
黙って連れて行かれていたことがあり、
そこで俺は夜まで軟禁され、勧誘されるという被害にあっていた。

若者のベンチャー思考に協力するという甘い口車に
ホイホイ乗って45万円も払わされて、その時は既に彼はしっかり会員させられていたわけで、
あの時と全然マインドは変わっていないのだろう。

その時は俺は彼を脱退させたのだが、富士山の麓のセミナーハウスの
時間と光を遮断された空間で、目標を絶叫させられるという洗脳合宿にも参加されられたあとで、
すっかり洗脳されていて、ファミレスで朝まで何時間も噛み砕いて
その団体の矛盾を説明して説得するといった作業をすることになり、なかなか手を焼いたものだ。

今度は、アプリを自分で開発して大儲けするお。
夢がひろがリング。

そういったところだろうか。
今の仕事をやめて、起業をしたくて焦っている気持ちは理解できるのだが、
もう少し内容を精査して飛びついてくれないものだろうかと思う。

次から次へとまったく世話が焼けるものだ。

さてどうなるものやら・・・。
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by masa3406 | 2013-05-09 10:35

小学校時代

高校の時の同級生と少し会う予定だったのだが、
そいつと交流がある、高校卒業以来会っていなかった同級生が
お前と会いたがっているから3人でお茶でもしないかということになり
会いに行ってきた。

その同級生とは、小学校から俺が留年するまで同じで、
確か中学1年だかの一時期仲良くしていて、
学校帰りに渋谷で何回か映画を一緒に見に行った記憶があった。

彼は、勉強もできるし温厚でおとなしい奴だったので、
なんの話が合ったりどんな共通項があって当時、仲良くしていたのか、
今となってはまったく思い出せない。
そいつは勉強が出来て真面目でおとなしい優等生タイプだったのだが、
むっつり野郎でPCのエロゲーやAVをこよなく愛していた記憶があった。

当時は、AVのクラスでの貸し借りが頻繁に行われていて、彼はその流通機能の中枢を担っていた。
写真で見せてもらったけど、今ではかなりの美人のカミさんをもらっているのは、
その女性や性への長年のたゆまぬ探究心と研究の成果の賜物ではないかと思っている。

俺はそのへんには疎かったので、彼とその関係の話をしたことは当時なかった。
だけに、そいつとはなんの共通項があったのか今をもってしてまったくの謎だ。

ちょうど中3くらいから、俺は完全無欠の落ちこぼれになり、
友達と付き合う層が変わり、不穏な空気をかもし出す不真面目な路線に行ったので、
そこからはぶっつりと付き合いがなくなっていたと思う。

同級生づてに、今は脱サラをして会社を経営していて子供もいるようなことを聞いていた。
その話を聞いた時に、引っ込み思案でおとなしいキャラだった彼と
経営者のイメージがどうにも結びつかなかった。

卒業後の俺は限られた似たような毛色の同級生としか
付き合っていなかったし、それでもういいと思っていた。
だけど、ここ最近のSNSブームで同級生の交流がにわかに活性化をして
ここ1・2年で本来なら、もう一生会うこともないと思っていた
同級生たちと会う機会が突如として増えてきて、
俺の意図しないところでその潮流にすっかり飲み込まれた格好になっている。

おそるべしSNS

俺はやってはいないのだが、フェイスブックの影響で
とりわけここ1年ほどで、交流がさらに活発化をしてきている気がする。

約束の時間5分前に喫茶店に到着すると、店前でスマホをいじっている
どこかで見たような顔の男がいた。
面影どころではなく、俺も人のことは言えないがむかしと顔が全然変わっていない。

確信をもって話しかけるとその同級生で、久しぶりだな!とお互いに挨拶をした。
彼の変わっていない物腰を見て俄然と懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
そうだ。確かに俺はこの雰囲気のこいつと仲良しだったんだ。

店に入ると、先に付き合いのある同級生がすでにいて、
3人で席に座った。

卒業後は全く交流はなかったのに
あたかもある関係のように俺は遠慮なく積極的にどんどん話しかけた。
最初の話題は同級生の誰といま会っているか?
交流がある同級生はなにをしているかで終始した。

勉強ができた彼は、さすがは俺が付き合っている層とは違って、
医者や歯医者や獣医になった同級生が随分と多かった。
変わり種では整形外科医を開業しているやつや、
劇団の座長やテストドライバーになった奴もいた。
もともと頭の出来が違うとは言え、ずいぶんと住む世界が違ってしまったものだ。

俺は夜は長く水商売のバイトをしていることをもう1人の普段から会っている
友達は空気を読んで、しないでくれているようだった。
最近付き合いを再開した、歯医者の同級生と2回飲んだ時も
その話はしないでくれていて配慮をしてくれているようだ。
いい友達を持ったものだ。

そこから、みんな同じ小学校でもあったので、
小学校時代の話題になった。

俺たちが卒業した小学校は、名門のイメージとは裏腹に
荒れている面があった。
悪い奴がいたり、いじめが頻繁にあったり、
とんでもないくだらないことをしたり、馬鹿なことをしでかす奴が沢山いたものだ。
笑えない事件も多かったし、退学者や登校拒否者も数人出た。

生徒のみならず、
先生が校内暴力をはりきりすぎて辞めさせられたり、先生が生徒の母親と不倫をして結婚をしたり、
後に生徒の母親をストーカーしてクビになったりと、大人まで事件に事欠かなかった。

なんせ俺が入学した小学1年の1学期早々にクラスの生徒の財布から金が盗まれたり、
靴を隠されたり、いじめがあったりと今考えるととんでもない学校だった。
俺も小1の時にすぐに財布から金を盗まれたのを記憶している。

俺たちの代は、退学者が何人も出たり、事件やいじめが多かった代で、
校外での万引き事件も多かった記憶がある。

自分も恥ずかしながら、一時期、すぐに手が出る暴れん坊だった時期があり、
しょっちゅう喧嘩をして同級生を泣かしたり問題児だった時期があった。
よくないことではあるが、いじめをしたこともあった。
今の俺は温厚だけど、当時の俺は母親譲りの癇癪持ちでドSな気質があった。

いたずらも好きで、何を血迷ったか、放課後に廊下に置いてある消化器のレバーをわざと踏んで押して
廊下にぶちまけたことがあったのを記憶している。
白い粉が一面に撒き散らされて、たちまちピンクがかった白い色に染まり
それを見て俺と同級生は大笑いだった。

小学生とは思えないような、学校ではとてもここでは書く事ができないような
出来事や事件が多かったのだが、そんなことを大笑いしながら、しれっと話している俺たちも変な大人だ。

その話の流れでいじめの話になり、付き合いのある同級生の方に、確かお前にいじめられたことがあったぞ。
と思い出したぞ!の顔で言われてそれには閉口した。

許してくれ

すまんが、まったく記憶にないです。。。

はるか昔のことなのに3人とも当時の場面の克明に記憶していて、
こうして共有した過去を楽しく話せる同級生っていいなと思ったし、男子校だったからあれだけ
日々が面白おかしかったんだと思う。

共学に行きたかったなと今でも思わないわけでもないけど、あのくだらなくて面白かった学園生活は
男子校でしか味わえない醍醐味だった気がする。

その話が一段落すると、今のお互いの仕事の話になり
脱サラするまでのサラリーマン時代の話や、今している事業の話しなど
社長である彼から興味深い話をしてもらった。

最初は、旅行会社に勤務していたんだそうだけど、旅行や電車に全く興味がなかった彼は、
仕事に興味が持てずに相当に苦労したんだそうだ。

好きなことを仕事にしたほうがいいよという意見は、彼も同じなようだ。

物腰は昔のままで腰が低くて、温和な人柄はまったく変わっていなくて、
昔のいい奴のままで、それが俺にはとても親しみを覚えた。
なによりも懐かしかった。

別れてから、今日はとても会えてうれしかったよとメールをしたら、
彼もうれしかったとメールをしてくれた。

卒業後に長くその学年の同級生に背を向けていた俺は、小さなプライドを守ることにこだわって、
せっかくの財産を捨てていたんだと思う。

己の器の小ささをまた恥じることになった。
また付き合いを再会していこうと思う。
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by masa3406 | 2013-05-04 03:40

犬との別れ

実家で飼っているワンコが体調を崩し、容態が悪く来週中にも死んでしまうかもしれないと言われて
急遽、実家に会いに行った。

もともと実家では同じ犬種を二匹飼っていたのだが、死んでしまって残ったほうの1匹だった。
父親が凄く可愛がっていた子で、快活でいつも笑顔で愛想の良い子だ。

もう1匹は内向的な性格で感情表現をさほどせず、ほとんど遊ばなかったのと比べて、
こちらは人懐っこくて活発な性格で運動神経が良く、俺もボール遊びをよくしたものだった。

その明るく愛想が良い性格がゆえに散歩をすると、いろんな人が可愛がりに寄ってきたものだ。
犬も喜怒哀楽の表情があり、こいつはとても表情が豊かな人に愛される性格の奴だった。

犬も人間と同じで、同じ犬種でも産まれた時から性格の気質や運動能力が違うものだ。
犬を見ていても、人もある程度先天的に性格の気質は決まっているのではないか
と俺は思う。

そんな活発な性格も寄る年端とともにテンションが下がり、活動量も減り、
最近は以前ほど遊ばなくなっていた。

夕飯時に実家のマンションに行くと、父親がいた。
いつもなら、玄関かリビングの入口まで歓迎しに出てくるワンコが、今日は出てこない。

リビングを見渡すと、部屋のベランダ前のガラス戸のカーテンに張り付くようにだるそうに寝ていた。

犬は体調を崩すと、涼しく隠れたところに引っ込みたがる傾向にある。
よく猫が死ぬ前に姿を隠してひっそりと死ぬというが、動物は本能的に体力が弱ってきたら
できるだけ体力を奪われないような涼しい場所で、外敵に襲われぬように身を隠したがるのだと思う。

最近、体調を崩して急激に食欲がなく元気がなくなってきたので、親が先週に1度入院をさせたのだけど、
肝臓に腫瘍ができていて手術を行うにはその体力はなく、
もはや手の施しようがないということで、今回家に帰されたということだった。

ほかの獣医も当たったけれど、いずれも打つ手が無いそうで、
万策尽き、獣医に多分来週1週間で。と宣告されたという話だった。

父親の話だと水しか飲めなくて毎日獣医に点滴を打ちに行って栄養をかろうじて取れているらしい。
水ですらスポイトで口に持って行ってあげないと自力では飲めないんだそうだ。

これまでに飼っていた犬2匹が亡くなる過程を見てきたが、いずれも最後は
飯を食べなくなり、やがては水をも飲めなくなっていった。
動物が生きるために必要な、食料や水を取りたがらなくなる。ということは、
個体を殺しにかかっていることを意味している。

この状態は、もう末期的な症状なのは明らかだった。

近寄って寝ている犬をなでてみたら、顔をあげてきてこちらを見た。
そのまま、なで続けると気持ちよさそうな顔をしている。

身体をなでてみても、食料を取れてないらしいのに、まだ痩せてはいなくて毛艶も悪くはない。
このいつもの体でいられるのもそう長くないんだなと思ったら、悲しくなってきた。
こうして俺が触れるのは今日が最後で、こいつに残された時間はあまりないのだ。
俺は、なでた感触を記憶に残そうと何度も何度も確かめるように毛をなでた。
柔らかくやさしい感触だった。

なんだか悲しく寂しくなってきてうるっときた。

退院後に耳が遠くなったらしく、呼びかけてももう今までのように声には反応してはくれない。

水の入った器をすぐ前に置いているのだけど、それを自力で飲みに行くことはないのだそうだが、
俺が水の入った器を顔に近づけてあげたら、なんと立ち上がって自力で何回も飲むではないか。

今日は、いつもより元気だね。と親父は驚いている。

いつもは体調が悪くて寝ているだけで、呼びかけにも反応はなく、
もう自力で歩いたりもできないほどに体調が悪いんだそうだ。

俺がおそらくこいつに会えるのは、今日で最後だと思う。
転職した仕事も始まって忙しくなるだろうし、決して両親とも仲が良いとは言えない俺は、
そうそう実家には気軽には来れないからだ。

だから、今日ある程度元気な状態な奴に会えて、とても俺は嬉しかった。
それは、神様のプレゼントかもしれなかった。

思えば、両親と仲があまり良くない俺は、
いわば、こいつが『実家』に来たときの両親と俺との間の緊張感を和らげる潤滑油であり、
防波堤だったのかもしれない。

いつも愛想がよくて場を明るくしてくれるこいつがいるから、たまに実家に来れたり居ることができたのだ。
こいつがいたから、会いに行こうと思えた。
こいつがいたことで、どれだけ救われただろうか。

2匹いた犬が1匹になって、

だけど、こいつがいなくなったら、もう俺は『ここ』に来る理由がなくなってしまう。
両親と俺だけでは、あまりにも寂しく間が持ちそうになかった。

こいつの存在は、家族にはあまりにも大きかったのだ。

両親から、もうそろそろ帰れという雰囲気になりお別れの時が来た。

名残惜しい俺は何枚も携帯のカメラで写真に収めた。

そして、最後に体温を確かめるようになでた。
もうこれで、生きているのを見る最後の最後で本当にお別れなのだ。

たくさんの幸せをもらってありがとう。
一緒に過ごした日々は本当に楽しかったし、
防波堤にもなってくれてありがとう。
忘れないよ。

と心の中でそっと告げた。

しばらくは、もうここに来ることはないだろう。

さようなら
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by masa3406 | 2013-05-01 00:17