ワンコの死

夜に友達と会って、朝に家に送って別れた。
昨日の嫌な事を忘れられて少し気がまぎれた。

別れた時刻は朝の8時すぎ。
まだ5月だというのに夏を思わせる強い日差しを受け、湿度の高さで、うっすらと汗をかきながら
一路東京へと戻る。
いよいよ俺の苦手な季節の到来を予感させた。

そして、都内に帰ってきて携帯を見ると
父親からメールが来ていた。

○○が亡くなりましたのタイトルに来たかと思う。

9時頃にワンコが死んだそうで、最後はかなり苦しそうにしていたけど
親父が膝の上で抱かれたまま亡くなったんだそうだ。

そのワンコは親父がとても可愛がって面倒を見ていたので、
最後は親父の腕の中で死ねて良かったのではないかと思う。
親父にとっても。

メールが来た時に ちょうど、お祭りをやっているところに差し掛かり、屋台が並び
笑顔の子供や人で賑わう華やかな喧騒の中でこのメールを見ると
よけいに実感がわいてこなかった。

悲しいという感情よりも、死んだのだ。という事実だけが頭に入ってくる。
感情がついてこない。

昨日、会ったばかりで突然だからか、あるいは徹夜で起きていて気分がハイになり
神経が麻痺しているからだろうか、
悲しいという感情に支配されることもなく涙も不思議と出てこない。

ぜんぜん実感が湧いてこない。

ただ1つ悔いるなら、

前日に会えたことは良かったと思うけど、昨日はもっといい最後に別れができていたらと
返す返すも残念に思う。

母親への怒りの感情にとらわれて、挨拶はしたけど、感情の整理ができないままに
別れの挨拶もそこそこに飛び出すように家を出ていってしまったから・・・。

母親と口論をしてるなかで、吠えていた姿に最後の最後に申し訳ないことをしたと思う。

昔も実家にいた時に俺と母親が頻繁に大喧嘩をすると、ワンコたちは居心地が悪そうな
怯えたような不安で困った顔をしていたものだ。
犬はこういうときは中立だった。

昨日は、お別れの挨拶をして静かに別れに浸りたかったのだ。
ワンコのことだけ考えたかった。

でも、後悔してもときは戻らない。

最後に会えからよしとしようと思う。

これから時間とともに実感がわいてきて、悲しい感情やさみしい感情がきっと後からついてくると思う。

もう実家には行かないので、残念ながら亡骸には会えないけど、
ワンコにはいろんな喜びや愛情を沢山もらって本当にありがとうと言いたい。

本日をもって3代続いたうちの犬は絶滅しました。

あなたたちのことは忘れません。

みんなありがとう

さようなら
[PR]
# by masa3406 | 2013-05-26 12:58

悲しい最後

夕方に携帯のメール受信歴を見ると父親からのがあった。
開いてみると、飼っている犬がいよいよ危ないのでお別れに来てみては?
という内容だった。

実家とはあまり関係が良くない俺は、この前会いに行った時にこれが最後だろうなと覚悟をしていたので、
行くことに対して少し戸惑いを感じた。
けれどもひと目会えるならとその日は夜のバイトがあったので、翌日に会いに行くことにした。

メールでは詳しいことを聞かなかったので、どの程度危ない状態なのかわからなかったけど、
こちらからは何も聞くこともなく翌日の夕方に電車で実家に向かった。

犬には会いたいのだけど、あまり実家に行くのは気が進まない。
矛盾した気持ちから歩く足取りは重かった。

実家に着いて中に入ると父親がいてソファーで犬を膝に大事そうに乗せていた。
どんな感じ?と恐る恐る聞くと

ついに、自力で立ちあがることも歩くこともできなくなったらしい。
ふさふさした毛を背中側から脇腹にかけて触ってみると、前回は肉厚な感触だったのに
明らかなゴツゴツとした背骨の感触と浮き出た肋骨の感触があった。

あっ。と思った。 

今まで飼ってきた犬2匹が死んだ時も最後はガリガリに痩せていたし、
末期症状なのを実感した。
聞くと、水分も自力では取れなくて栄養も点滴のみとのことだった。
もう何日と生きれないだろう。

自力では生きられない状態で、人間が生きながらえさせて、かろうじて生きているような状態とも言えた。
これが自然界なら、とっくに死んでいるはずだった。

ケージへと戻されたワンコの頭をなでたり名前を呼びかけて見たけど、
なでられるままで俺の顔を見ることもなく反応に乏しかった。

鼻に指を近づけても、もう嗅覚がダメなんだろう。
クンクンと指に鼻を近づけてくることもなく、まったくもって反応をしなかった。
名前を読んでもそれに対する反応はない。

五感が鈍っていて、
かつて当たり前にしていたコミュニケーションと呼べるようなものはなにもできなくて、
俺から一方的に撫でることしかできなかった。

なでていると顔は穏やかだけど、俺だと分かっているのか分かっていないのかも、
こちらからはわからなかった。

顔を何度も自分で起こそうとしているけど、うまくいかずに何度も何度も起こしては落ちていくのを
繰り返していて、そこまで力が無くなっているのかと悲しさを感じた。

しばらくなでていると母親が帰宅してきて、父親が作っていた夕食ができたとのことなので食卓に座った。
母親とは不仲なので、これはあまりよい状況ではないと言えた。
この時間に来たのは、最大の失敗だったのだ。

しばらく食事をしていると、間が悪いことに母親が俺に対する不満や過去を蒸し返してきて吹っかけてきて、
ちょっとした口論が勃発してしまった。

母親は、まず自分が相手にぶつけたり言いたいことがあって、
それを相手に一方的に言葉を選ぶことなく情け容赦なしにぶつけることで発散をするタイプの人間だ。
過去まで蒸し返してきて、それも追撃の材料にしながら全力で傷口に塩を塗りたくってくるのだ。

言いたいことや見解は自己完結をしていて、決めつけであろうが、あくまでもそれを前提にぶつけて
押し通してくる。
しかもまたその言い方が、言葉を選ばずに身も蓋もなく辛辣で投げっぱなしだ。
言われる方にしてみたら人格からなにから全否定でサンドバッグで救いがない。
心が弱い人なら、傷ついて立ち直れなくなるほどの毒だ。

それに対する、言われた方の弁解や釈明。反論は一切聞く耳は持たずに、相手の話なんか聞きやしないし、
相手の気持ちなんかおおよそ奴にとっては関係ない。

だから、反論でもしようもんなら自己完結しているものに意見をされたとカチンと来て、
延々と一方通行の口論が続くだけで見事にまでの不毛な時間と化す。

奴にとっては、ただ言いたいことを言って。相手に認めさせればいいのだ。
不満をぶつけて全否定してオシマイだ。
小さい頃から一事が万事、こんな有様だった。
俺はそんないびつなコミュニケーションしか取れない狂った家庭で育った。

言いたいことだけ言うなら、壁に向かって話しているのと同じことだと思う。
人はもっと、相手への思いやりや愛情があって、言い方を考えて言葉を選ぶものなのではないだろうか。
ただ言いたいことや正論をぶつけるのは、人としてのコミュニケーションとは言えない。
気持ちがないのと同じことで、相手は救われない。

思えば、中学生高校生の時も、すべてがこういう一方的な話し方で、
俺の不満や言いたいことはなにひとつとして聞いちゃくれなかった。
学校も一方的に入れられた。
これで俺は、話にならんと中学生の時から心を閉ざし始めた。
こんな奴にどうせ言ってもなにも聞かないし無駄だ。と

今日は、せっかく犬の最後に会いに来たのになにもこんな時に。。。
少しは自我をこの人は引っ込められないのかと暗澹たる気持ちになった。

自分が自分が!すべてそれだ。
言いたいから言う。相手も状況も自分には関係ない。
この金持ちの家で、何不自由なく甘やかされて育った狂った女は、ただそれだけなんだろう。

気がつくと、もめている俺たちの不穏な空気でも察したのか、なにがそうさせたのかはわからなかったけど、
犬が声なき声でなにをうったえたいのか吠え続けていた。

その弱々しく泣き続ける声を聞いていて悲しくなった。
こんな死にそうな犬を静かに過ごさせてあげられないなんて。。。

すっかりまずくなってしまった食事を途中で切り上げると、ケージに向かってワンコに最後の挨拶をした。
ワンコを優しく優しくなでた。

父親が送ってくれると言ったけど断ってそのまま家に帰った。

俺は何か大きなものを望んでいたわけでもない。
ただ、普通のやさしい母親から生まれたかった。
能力は認めるけど、秀才だとかできる母親とかそんなものは俺にはいらなかった。

自分が正しくて相手は間違っていて。そんなのはもう沢山だ。

もっとワンコとちゃんとした最後を過ごしたかったんだけど
情けないことにこれが本当の最後になってしまった。
[PR]
# by masa3406 | 2013-05-26 03:25

しょぼかった成人式の思い出

最近、店の子と飯に行った時に成人式の話になったのだが、
女の子にとっての成人式への思い入れは、それは凄まじいものがあるらしい。

話を聞いていて、
まあ、アメリカ人のバーベキューへの思い入れは凄まじいものがあるからな
のバーベキューのコピペを思わず思い出してしまったほどだ。
俺は成人式はまったく重要視をしてなくて、じつにしょぼい思い出しかなく、
一方ではここまで重要視をして、金と手間ひまを懸けている人たちがいることに驚いてしまったのだ。

その子が今年した話をしていたので、その流れでどんなことをするのかざっと教えてもらった。

成人式で着る振袖をさすがに買う人は少なくて、大多数はレンタルをするらしいのだが、
まず、貸衣装屋でレンタルでも1年くらい前に見に行って振袖を選ぶんだそうだ。
値段はピンキリなのだが、流行りの柄やクオリティにこだわるとどんどん値段が上がっていくという。

次に、成人式の当日は朝からセットに着付けと忙しく、ゆっくり写真を撮っている時間がないので、
前撮りという撮影を8ヶ月くらい前に行ない
本番さながらに髪をセットして振袖を着つけてもらい、写真のスタジオで撮るものらしい。
もしくは後撮りという、成人式の後で撮ることもあるんだそうだ。

それから、何ヶ月も前に当日の美容院を予約して、
当日に備えるのだという。

振袖も、ちょっとこだわるとレンタルだけで平気で20万円を超えるのだそうで、
その子は20数万の着物を借りたのだそうだ。
聞いていて、1日か2日借りるだけでそんなにするのかよ?! うへえ!(;゚Д゚)!と驚いてしまった。

女子は、一生に1度しかないその成人式の日のために
1年以上も前から金と手間ひまをかけて準備をして、その1日に懸けるのだという。
女子の一生に一度の記念と美意識は頭では理解できるけど、
男的には、よくわからない価値観だ。

ちなみに俺の仲良しの友達の実家が呉服屋で、そいつも以前実家を手伝っていて、
よく土日は展示会があるからどうとか言っていたのだけど、
多分、そういった成人式の人の対象の展示会にもそいつは出ていたんだろうなと
その話を聞きながら初めてイメージがついた。

男で成人式で気合を入れる人種は、よほどの目立ちたがりやのお祭り好きか不良くらいなものだろう。
成人式?なんだろうなあ。スーツでも着て参加するか。
くらいの認識で参加した人が大半だと思う。

男が、その次元で金と手間ひまをかけて、一生で髪型や服に気合を入れる時っていつだろうか?
結婚披露宴はほとんど男のほうが女性に合わせて仕方なくの半分義理で行うものだし、
自分にはとても思いつかなかった

はたして、俺にとっての成人式はその子に反して実に味も素っ気もないものだった。

小学校から東京で都心部の私立だった人間にとっては、地元の成人式ほど地縁がないものはない。
地元の学校に通っていないので、寂しいことに地元に友達や知り合いがほぼ存在しないのだ。
式に参加しても、かなりの高確率でぼっちになることは間違いなしだ。

俺は、小中高と都心の男子校だったので、地元の区には友達と呼べる存在が
幼稚園の同級生以外にほとんどいなかった。
女子の知り合いや女友達の存在など皆無だ。
誰がゴージャスな振袖を着てこようが、華やかであろうがそれはあかの他人でしかない。

小中高の同級生は様々な区や遠い人は神奈川 埼玉 千葉県から通ってきているので、
みんな各々の住んでいる地域の成人式に散り散りに分散してしまう。
俺と同じ区の奴は、学年でたったの2人しかいなかった。

しかも、高校で1年留年した俺は、20歳の時はちょうど浪人していて、
まさに2月から始まる受験本番の目前。
気分的にも、とてもそんなお祝い気分ではなかった。
受験生にとっては、志望校合格が最大のお祝いなのだから。

さらに浪人時代は地元を出て神奈川県に住んでいたので、成人式に出ても友達は愚か
知り合いも0の状態。
式なんて出てもぼっちで、そこはチンピラ風情が多い市だったし出席したところで見事なアウェー状態だろう。

そう思った俺は、役所から来た招待状の記念品の文字だけに惹かれて、
当日会場には行かずに記念品だけ取りに行ったのだった。

ちなみに記念品はアルバムだった。
なんだ、こんなものかよ。使い道がないなあ。
とがっかりしながら、トボトボと家に歩いて帰ったことだけを記憶している。

成人式に行った同級生何人か聞いたけど、面白おかしかったとか、みんなで騒いだという
話はなく、広い会場で知っている数人でなんとなく参加するお客様状態だったと聞いた。

それが、俺にとっての成人式だった。
だから、その子の思い出話を聞きながら、
なんか知らない世界の話を見聞きした気がして、少し羨ましく感じた。
[PR]
# by masa3406 | 2013-05-18 08:27

アプリを開発して儲けるお

前にホットサンドとベルギーワッフルの店を開店したいと言っていた友人が、
それが資金調達が難しいということで頓挫をするやいなや、
すぐさま、今度はフランチャイズのとある商材をフルコミッションで売る代理店をやりたいとの路線変更を
俺に言ってきた。

実際に社長と面談をしてきたという
そのどう見ても胡散臭い内容と契約書の中身を見た俺が止めて
その話も立ち消えになっていた。

俺が止めてなければ、ハンコをついて、前金で70万円をぼったくられていたことだろう。
その時は、なんとか説明をして水際で食い止めることができたのだ。

これでしばらくは、おとなしくしているだろうと安心をしていたのだが、
この度またハイテンションのメールが届いた。

今度は、スマホのアプリ開発だという。

彼はごくごく最近スマホデビューしたのだが、多分にその影響があるのだろう。
自分でそう思って、プログラムの勉強をしに学校探しでもしたいと聞いてくるわけでもなく、
前回と同じで何かのセミナーで詳しく聞いてくるとメールには書いてあったので、
あいだに怪しげな会社が入っているに違いない。
どうせそこでまた金をむしり取られるシステムなのだろう。

純粋で感化されやすい彼は、また騙されているに違いない。

個人で開発できるみたいだから、やるにあたって向き不向きはある?
といった実に安直な質問があったので、
PCにも全く興味がなく、IT音痴の彼が凄く安易に考えているのが見て取れた。

おおよそPCをDOS上で操作をしたことが1度たりともない彼が、仕事をしながら今更1から言語を
独学で勉強して、自分でプログラムを組みアプリを開発するなど
実に突飛な話だった。

学生時代からDOS上でプログラムを組むのが好きでいじっている人間や
言語を知っているのなら話は別だが、
すべてをこの30過ぎた今から始めるなんて、ほとんど聞いたこともない話だ。

30過ぎといえば、もうSEになって指示をしているか、IT土方を辞めていく年齢だ。
俺の親友も今はSEになっている。

俺がシステム会社にいたのは大学を出て20代中盤の2年だけ。
でも、その前はプログラムの学校に通って言語も勉強したから、カスながらも多少はわかる。

長年の付き合いの彼で、無理やりアプリ開発のイメージをするなら、
IT企業の社長みたいにこんなアプリを作ってくださいと
イメージで発注をする方で、
どう考えても作る プログラムをする側の人間ではない。

彼は情報処理系の高校を出たわけでもないし、向き不向き以前に、まったく興味ないでしょと言いたかったのだが、
大きな本屋で言語の本でも見てみたら?
と言うにとどめた。
多分、見てうんざりするだろうとの目論見でだ。

思い返すと、彼に大学を卒業してすぐに
日曜日に遊びに行くという口実で誘われ、雑居ビルの中にある
成功哲学を教えるという自己啓発セミナーに
黙って連れて行かれていたことがあり、
そこで俺は夜まで軟禁され、勧誘されるという被害にあっていた。

若者のベンチャー思考に協力するという甘い口車に
ホイホイ乗って45万円も払わされて、その時は既に彼はしっかり会員させられていたわけで、
あの時と全然マインドは変わっていないのだろう。

その時は俺は彼を脱退させたのだが、富士山の麓のセミナーハウスの
時間と光を遮断された空間で、目標を絶叫させられるという洗脳合宿にも参加されられたあとで、
すっかり洗脳されていて、ファミレスで朝まで何時間も噛み砕いて
その団体の矛盾を説明して説得するといった作業をすることになり、なかなか手を焼いたものだ。

今度は、アプリを自分で開発して大儲けするお。
夢がひろがリング。

そういったところだろうか。
今の仕事をやめて、起業をしたくて焦っている気持ちは理解できるのだが、
もう少し内容を精査して飛びついてくれないものだろうかと思う。

次から次へとまったく世話が焼けるものだ。

さてどうなるものやら・・・。
[PR]
# by masa3406 | 2013-05-09 10:35

小学校時代

高校の時の同級生と少し会う予定だったのだが、
そいつと交流がある、高校卒業以来会っていなかった同級生が
お前と会いたがっているから3人でお茶でもしないかということになり
会いに行ってきた。

その同級生とは、小学校から俺が留年するまで同じで、
確か中学1年だかの一時期仲良くしていて、
学校帰りに渋谷で何回か映画を一緒に見に行った記憶があった。

彼は、勉強もできるし温厚でおとなしい奴だったので、
なんの話が合ったりどんな共通項があって当時、仲良くしていたのか、
今となってはまったく思い出せない。
そいつは勉強が出来て真面目でおとなしい優等生タイプだったのだが、
むっつり野郎でPCのエロゲーやAVをこよなく愛していた記憶があった。

当時は、AVのクラスでの貸し借りが頻繁に行われていて、彼はその流通機能の中枢を担っていた。
写真で見せてもらったけど、今ではかなりの美人のカミさんをもらっているのは、
その女性や性への長年のたゆまぬ探究心と研究の成果の賜物ではないかと思っている。

俺はそのへんには疎かったので、彼とその関係の話をしたことは当時なかった。
だけに、そいつとはなんの共通項があったのか今をもってしてまったくの謎だ。

ちょうど中3くらいから、俺は完全無欠の落ちこぼれになり、
友達と付き合う層が変わり、不穏な空気をかもし出す不真面目な路線に行ったので、
そこからはぶっつりと付き合いがなくなっていたと思う。

同級生づてに、今は脱サラをして会社を経営していて子供もいるようなことを聞いていた。
その話を聞いた時に、引っ込み思案でおとなしいキャラだった彼と
経営者のイメージがどうにも結びつかなかった。

卒業後の俺は限られた似たような毛色の同級生としか
付き合っていなかったし、それでもういいと思っていた。
だけど、ここ最近のSNSブームで同級生の交流がにわかに活性化をして
ここ1・2年で本来なら、もう一生会うこともないと思っていた
同級生たちと会う機会が突如として増えてきて、
俺の意図しないところでその潮流にすっかり飲み込まれた格好になっている。

おそるべしSNS

俺はやってはいないのだが、フェイスブックの影響で
とりわけここ1年ほどで、交流がさらに活発化をしてきている気がする。

約束の時間5分前に喫茶店に到着すると、店前でスマホをいじっている
どこかで見たような顔の男がいた。
面影どころではなく、俺も人のことは言えないがむかしと顔が全然変わっていない。

確信をもって話しかけるとその同級生で、久しぶりだな!とお互いに挨拶をした。
彼の変わっていない物腰を見て俄然と懐かしい気持ちがこみ上げてきた。
そうだ。確かに俺はこの雰囲気のこいつと仲良しだったんだ。

店に入ると、先に付き合いのある同級生がすでにいて、
3人で席に座った。

卒業後は全く交流はなかったのに
あたかもある関係のように俺は遠慮なく積極的にどんどん話しかけた。
最初の話題は同級生の誰といま会っているか?
交流がある同級生はなにをしているかで終始した。

勉強ができた彼は、さすがは俺が付き合っている層とは違って、
医者や歯医者や獣医になった同級生が随分と多かった。
変わり種では整形外科医を開業しているやつや、
劇団の座長やテストドライバーになった奴もいた。
もともと頭の出来が違うとは言え、ずいぶんと住む世界が違ってしまったものだ。

俺は夜は長く水商売のバイトをしていることをもう1人の普段から会っている
友達は空気を読んで、しないでくれているようだった。
最近付き合いを再開した、歯医者の同級生と2回飲んだ時も
その話はしないでくれていて配慮をしてくれているようだ。
いい友達を持ったものだ。

そこから、みんな同じ小学校でもあったので、
小学校時代の話題になった。

俺たちが卒業した小学校は、名門のイメージとは裏腹に
荒れている面があった。
悪い奴がいたり、いじめが頻繁にあったり、
とんでもないくだらないことをしたり、馬鹿なことをしでかす奴が沢山いたものだ。
笑えない事件も多かったし、退学者や登校拒否者も数人出た。

生徒のみならず、
先生が校内暴力をはりきりすぎて辞めさせられたり、先生が生徒の母親と不倫をして結婚をしたり、
後に生徒の母親をストーカーしてクビになったりと、大人まで事件に事欠かなかった。

なんせ俺が入学した小学1年の1学期早々にクラスの生徒の財布から金が盗まれたり、
靴を隠されたり、いじめがあったりと今考えるととんでもない学校だった。
俺も小1の時にすぐに財布から金を盗まれたのを記憶している。

俺たちの代は、退学者が何人も出たり、事件やいじめが多かった代で、
校外での万引き事件も多かった記憶がある。

自分も恥ずかしながら、一時期、すぐに手が出る暴れん坊だった時期があり、
しょっちゅう喧嘩をして同級生を泣かしたり問題児だった時期があった。
よくないことではあるが、いじめをしたこともあった。
今の俺は温厚だけど、当時の俺は母親譲りの癇癪持ちでドSな気質があった。

いたずらも好きで、何を血迷ったか、放課後に廊下に置いてある消化器のレバーをわざと踏んで押して
廊下にぶちまけたことがあったのを記憶している。
白い粉が一面に撒き散らされて、たちまちピンクがかった白い色に染まり
それを見て俺と同級生は大笑いだった。

小学生とは思えないような、学校ではとてもここでは書く事ができないような
出来事や事件が多かったのだが、そんなことを大笑いしながら、しれっと話している俺たちも変な大人だ。

その話の流れでいじめの話になり、付き合いのある同級生の方に、確かお前にいじめられたことがあったぞ。
と思い出したぞ!の顔で言われてそれには閉口した。

許してくれ

すまんが、まったく記憶にないです。。。

はるか昔のことなのに3人とも当時の場面の克明に記憶していて、
こうして共有した過去を楽しく話せる同級生っていいなと思ったし、男子校だったからあれだけ
日々が面白おかしかったんだと思う。

共学に行きたかったなと今でも思わないわけでもないけど、あのくだらなくて面白かった学園生活は
男子校でしか味わえない醍醐味だった気がする。

その話が一段落すると、今のお互いの仕事の話になり
脱サラするまでのサラリーマン時代の話や、今している事業の話しなど
社長である彼から興味深い話をしてもらった。

最初は、旅行会社に勤務していたんだそうだけど、旅行や電車に全く興味がなかった彼は、
仕事に興味が持てずに相当に苦労したんだそうだ。

好きなことを仕事にしたほうがいいよという意見は、彼も同じなようだ。

物腰は昔のままで腰が低くて、温和な人柄はまったく変わっていなくて、
昔のいい奴のままで、それが俺にはとても親しみを覚えた。
なによりも懐かしかった。

別れてから、今日はとても会えてうれしかったよとメールをしたら、
彼もうれしかったとメールをしてくれた。

卒業後に長くその学年の同級生に背を向けていた俺は、小さなプライドを守ることにこだわって、
せっかくの財産を捨てていたんだと思う。

己の器の小ささをまた恥じることになった。
また付き合いを再会していこうと思う。
[PR]
# by masa3406 | 2013-05-04 03:40

犬との別れ

実家で飼っているワンコが体調を崩し、容態が悪く来週中にも死んでしまうかもしれないと言われて
急遽、実家に会いに行った。

もともと実家では同じ犬種を二匹飼っていたのだが、死んでしまって残ったほうの1匹だった。
父親が凄く可愛がっていた子で、快活でいつも笑顔で愛想の良い子だ。

もう1匹は内向的な性格で感情表現をさほどせず、ほとんど遊ばなかったのと比べて、
こちらは人懐っこくて活発な性格で運動神経が良く、俺もボール遊びをよくしたものだった。

その明るく愛想が良い性格がゆえに散歩をすると、いろんな人が可愛がりに寄ってきたものだ。
犬も喜怒哀楽の表情があり、こいつはとても表情が豊かな人に愛される性格の奴だった。

犬も人間と同じで、同じ犬種でも産まれた時から性格の気質や運動能力が違うものだ。
犬を見ていても、人もある程度先天的に性格の気質は決まっているのではないか
と俺は思う。

そんな活発な性格も寄る年端とともにテンションが下がり、活動量も減り、
最近は以前ほど遊ばなくなっていた。

夕飯時に実家のマンションに行くと、父親がいた。
いつもなら、玄関かリビングの入口まで歓迎しに出てくるワンコが、今日は出てこない。

リビングを見渡すと、部屋のベランダ前のガラス戸のカーテンに張り付くようにだるそうに寝ていた。

犬は体調を崩すと、涼しく隠れたところに引っ込みたがる傾向にある。
よく猫が死ぬ前に姿を隠してひっそりと死ぬというが、動物は本能的に体力が弱ってきたら
できるだけ体力を奪われないような涼しい場所で、外敵に襲われぬように身を隠したがるのだと思う。

最近、体調を崩して急激に食欲がなく元気がなくなってきたので、親が先週に1度入院をさせたのだけど、
肝臓に腫瘍ができていて手術を行うにはその体力はなく、
もはや手の施しようがないということで、今回家に帰されたということだった。

ほかの獣医も当たったけれど、いずれも打つ手が無いそうで、
万策尽き、獣医に多分来週1週間で。と宣告されたという話だった。

父親の話だと水しか飲めなくて毎日獣医に点滴を打ちに行って栄養をかろうじて取れているらしい。
水ですらスポイトで口に持って行ってあげないと自力では飲めないんだそうだ。

これまでに飼っていた犬2匹が亡くなる過程を見てきたが、いずれも最後は
飯を食べなくなり、やがては水をも飲めなくなっていった。
動物が生きるために必要な、食料や水を取りたがらなくなる。ということは、
個体を殺しにかかっていることを意味している。

この状態は、もう末期的な症状なのは明らかだった。

近寄って寝ている犬をなでてみたら、顔をあげてきてこちらを見た。
そのまま、なで続けると気持ちよさそうな顔をしている。

身体をなでてみても、食料を取れてないらしいのに、まだ痩せてはいなくて毛艶も悪くはない。
このいつもの体でいられるのもそう長くないんだなと思ったら、悲しくなってきた。
こうして俺が触れるのは今日が最後で、こいつに残された時間はあまりないのだ。
俺は、なでた感触を記憶に残そうと何度も何度も確かめるように毛をなでた。
柔らかくやさしい感触だった。

なんだか悲しく寂しくなってきてうるっときた。

退院後に耳が遠くなったらしく、呼びかけてももう今までのように声には反応してはくれない。

水の入った器をすぐ前に置いているのだけど、それを自力で飲みに行くことはないのだそうだが、
俺が水の入った器を顔に近づけてあげたら、なんと立ち上がって自力で何回も飲むではないか。

今日は、いつもより元気だね。と親父は驚いている。

いつもは体調が悪くて寝ているだけで、呼びかけにも反応はなく、
もう自力で歩いたりもできないほどに体調が悪いんだそうだ。

俺がおそらくこいつに会えるのは、今日で最後だと思う。
転職した仕事も始まって忙しくなるだろうし、決して両親とも仲が良いとは言えない俺は、
そうそう実家には気軽には来れないからだ。

だから、今日ある程度元気な状態な奴に会えて、とても俺は嬉しかった。
それは、神様のプレゼントかもしれなかった。

思えば、両親と仲があまり良くない俺は、
いわば、こいつが『実家』に来たときの両親と俺との間の緊張感を和らげる潤滑油であり、
防波堤だったのかもしれない。

いつも愛想がよくて場を明るくしてくれるこいつがいるから、たまに実家に来れたり居ることができたのだ。
こいつがいたから、会いに行こうと思えた。
こいつがいたことで、どれだけ救われただろうか。

2匹いた犬が1匹になって、

だけど、こいつがいなくなったら、もう俺は『ここ』に来る理由がなくなってしまう。
両親と俺だけでは、あまりにも寂しく間が持ちそうになかった。

こいつの存在は、家族にはあまりにも大きかったのだ。

両親から、もうそろそろ帰れという雰囲気になりお別れの時が来た。

名残惜しい俺は何枚も携帯のカメラで写真に収めた。

そして、最後に体温を確かめるようになでた。
もうこれで、生きているのを見る最後の最後で本当にお別れなのだ。

たくさんの幸せをもらってありがとう。
一緒に過ごした日々は本当に楽しかったし、
防波堤にもなってくれてありがとう。
忘れないよ。

と心の中でそっと告げた。

しばらくは、もうここに来ることはないだろう。

さようなら
[PR]
# by masa3406 | 2013-05-01 00:17

不義理

駅の近くで前の会社の同僚にあることを伝えるために待ち合わせをした。

仕事が忙しいのか22時過ぎの待ち合わせになり、改札口から出てきた彼は
転職した仕事にまだ慣れずに苦労しているのか、
幾分か疲れた表情をしている印象を受けた。

余計に申し訳ない気持ちになった。

実はお話をしたいことがありまして。と言うと

内容は、多分わかっていますよ。社長から連絡が来たので。

と言われた。
もう彼の耳に入っていたのか・・・。

出張を翌日に控えていたし、時間がないということなので
駅近くのファミレスに行って奥の席を案内されると2人でドリンクバーを頼んだ。

色々と経緯はあったのだが、
その人は今の会社の紹介者で、結果的にコネ入社をさせてくれたいわば恩人だ。

不義理なことに今回そこを俺は辞めたのだ。

彼には入社先の社長から電話があったそうで、経過の詳細は語られてはいなかったようだけど
最後に、俺とはこれまで通り付き合ってくれ。と言われていたそうだ。

もちろんそう決断するに至ったのには、いくつか理由があった。
入社前に聞いていた営業として俺が販売促進する商材が、入社してから二転三転して変わったことだ。
商材で納得して入社していたので、俺にとってはこの事実は根幹を揺るがすようなことだった。

他にも朝礼で社員たちが1人1人絶叫していて、それが毎朝あり
この雰囲気は合わないなとドン引きをしていたこと。

他にもあったのだが、そこに決定的な追いうちをかけたのが胃の不調だった。
俺は、そこで続けていく自信を完全に喪失したのだ。

彼は「でも、多分やめるとは思ってましたよ」
と笑わずに静かに言った。

前回会った今月の初めは、まだやめるつもりはなく迷っていた時期だったのは事実だが、
紹介者に余計な迷惑をかけんと、いっさい胸の内は話さないでいた。

それだけに、どうしてそう思っていたのかとびっくりした俺は逆に
なぜそう思っていたのかと質問をした。

すると、俺が会社の社員が絶叫している特殊な朝礼の雰囲気が苦手だともらしたときにそう思ったのだそうで、
この人は本当にいつもながら相手の事を観察しているなと
見透かされたような気持ちになった。

実際はその時に俺がそうもらした言葉以上に、
その時の俺の雰囲気や表情でそう判断したのではないかと思った。
それくらい、この人は女性のように表情から察する能力に長けている人だった。

「だから、最初の3ヶ月は慣れるまでとにかく我慢をしてくださいといったんですけどね。
あそこは、金払いも良いし社長もいい人だし、いい会社だったんですよ。」

と無念そうに言った。

確かに給料は悪くはなかったのだけど、内容的なものもどうしても俺は折り合いがつかなかったのだ。
俺の場合は、仕事とは条件よりもある程度好きじゃないと続けられないのだ。

わがままかもしれないけど、性格的にこれはどうしようもないと言ってもいい。

その次にとても核心的なことを言った。

「○○さんは、人の話は聞くけど咀嚼をしないから。他人のアドバイスよりも自分で決めた結論をだしちゃう。」

「でもそれは俺と同じだから。 俺も人にどんなアドバイスをされても頑固だから自分で決めたことに
従っちゃうから。」

これは昔から母親にもよく指摘されていたことで、俺の根本的な欠点とも言えた。
頑固で妥協ができないのだ。

この人は、前から観察力が鋭いとは思っていたけど、ここまで本質を見抜いていたとはと俺は内心、恐れ入った。
そこまで俺という人間を深く理解して付き合ってくれていたのだ。

それだけに、裏切って申し訳ない気持ちになった。

本来なら、やめる前に相談をすべきだろうし辞意を表明した時点で報告するべきなのだが、
そうすると止められたり決まっていない仕事を心配されてしまうことはわかっていたので、
結果的に俺はこうしてしまったのだと思う。

結局、俺が選んだ結論は、好きだった経験職に復帰することで、程なくしてその転職が無事に決まった。

先のブログにレスしたYさんの「人生は好きなことをしたほうがいいよ。」という言葉が最終的に俺の背中を押す形になったのだ。
他にも以前の同僚や上司4人に相談をしたのだけれど、
4人とも好きなことをやったほうがいいよ異口同音に言ってくれたので、
その言葉は取った選択に少し不安だった俺には力強い応援になった。

社長は、これはタイミングだから仕方ない。気にしないでください。
その会社で力をつけたら、またぜひうちに来なさい。

と不義理をした俺に言ってくれて、男としての人柄の素晴らしさと器の大きさを感じた。

そういった言葉を大切にして頑張っていこうと思う。
[PR]
# by masa3406 | 2013-04-27 19:26

胃の不調

仕事で千葉県に行って時間ができたので、去年同じ仕事で仲良くしていたYさんに連絡をしてみた。
Yさんは50歳で成人をした娘さん2人を持つお父さんだ。

元エンジニアだという物静かで知的なYさんとは、歳は離れているけど会社ではとても親しかった。
押しつけがましさや強引さとは無縁で押しが弱く、ガツガツとした営業とは無縁で、もの静かなところにも
シンパシーを感じたのかもしれない。

行動やたたずまいにもYさんには気品があった。
優しくて、笑みを絶やさずに穏やかで、全幅の信頼感が持てて一緒にいて安心できる人だったのだ。

仕事の愚痴を言い合ったり、聞き上手なYさんに話を本当によく聞いてもらったものだ。
遠方の時など、帰りに 待ち合わせてよく一緒に帰社した。

その後Yさんは、ほどなくして会社を辞めて派遣の仕事に就いて
その仕事の契約が切れたので、今は求職中とのことだった。

思い立って突然の電話の誘いにも、優しいYさんは快く応じて駅まで出て来てくれた。
そこから電車で1駅乗って
同級生が店長をしている、珈琲が美味しいという喫茶店に行くことにした。
ここまでが遠いので、はじめての来訪だった。

外は4月の下旬なのに5月のように暑く風が吹いていた。

電話では連絡を取りあってはいたものの、こうして会うのは1年ぶりだろうか。
再開した赤いポロシャツ姿のYさんは、柔和な以前と変わらぬYさんだった。
そんなところも安心感を与えてくれる人だ。

Yさん、この日 は午前中に都心に会社の面接で行っていたそうで、
その時に俺に連絡を取って話でもしようかなと思ってくれていたのだそうだ。
けれど、朝早いので仕事中に悪いかなと遠慮をして、そのまま
家に帰ってきたとのことだった。

何ヶ月も会っていなかったのに
2人とも会おうと思い立った日がたまたま同じだなんて、
こんな偶然ってあるんだろうか。

不思議な縁を感じた。

待ち合わせた駅から電車で1駅乗り、2人で友人が店長を勤める珈琲店に向かった。
同級生がよく訪れているので、そいつから情報をもらった道に従って歩くと15分ほどで到着した。

店に入ると、カウンターで働く友人と目が合うと、突然の来訪にびっくりした顔をしてから笑った。

庭園が見える木目調の落ち着いた店内で、平日の午後の時間帯だからだろうか
おしゃべりに来たような主婦で店内は賑わっていた。

郊外店なので、仕事の合間のサラリーマンが休んでいたり、PCで仕事をしたり
商談をしている都会とは随分と客層が違う。
友人は忙しそうにカウンターでなにかを作り続けている。

注文を女の子が取りに来る。
2人とも食べたあとなので、コーヒーと俺はミルクティーを頼む。

Yさんは、副業の投資で稼いでいるのでもうそんなにシンドい仕事はしたくないのだそうで、
そうなるとなかなかいい妥当な案件がないのだそうだ。
ここ最近のお互いの近況話をしたわけだけど、
俺は3月に突如として胃の調子が悪くなった話をした。

あ る朝、会社から地下鉄で移動をしていたら立っているのも辛くなって冬だというのに
冷や汗が出てきてめまいがした。
すぐに降りてホームのベンチで休んだ。

その日を境にみぞおちが重く、何かを食べるとすぐに下腹にガスが貯まるようになった。
消化が悪いせいだろう。便も柔らかくなり、
横になって寝ても鳩尾の張りで寝付けなかった。

空腹時、食後にかかわらず鳩尾が痛く胸焼けがするので、胃薬を1日に4包も5包も飲むようになった。
飲み続けていないと不快でどうしようもない。

いつも腹にガスが溜まっているような状態で下腹部が張る。
なにか最小限口に入れようとキッドカットを1つ食べただけで
ガスが貯まるのには閉口した。

そんな日が続いて、 症状をネットで検索すると胃癌がヒットした。
症状の項目を1つ1つ見ていくと、思い当たるところがいくつもあるではないか。
今まで長く続くような病気をしたことが一度もない俺は、不安な気持ちがもたげてきた。

これはそこいらの病院で診察してたらい回しにされている場合ではないと、
ネットで検索をして胃腸の専門の病院を探して診察してもらった。
最初は、エコーを撮ってもらい胃カメラの予約をした。
エコーでは不快感があるみぞおちを、やけに念入りに技師が見ているのを見て
不安になった。

胃カメラは予約が混み合っていて、最低でも2週間は待たなくてはならなくなり、
俺はその不安なあいだに様々なことを考え過ごした。

生命保険のこと 健康のこと 将来のこと 生きてきてチャレンジをしていないこと 
向き合わないようにしてきたこと。逃げてきたことを振り返った。

人は、いつまでも健康な今のままで将来を考え予見しがちであるが、
いつまでも健康でいられる保証などなく、ある日大病を患わないとも限らないことにを
この時はじめて感じた。

ある日、癌や大病になればそこで可能性が閉ざされる可能性もあるわけで、
何をするにしても健康であることに勝るものはない。

健康であれば、たとえそれが無理なことでもチャレンジはできる。

しかし、病気になれば、チャレンジをすることもできないかもしれない。

俺は健康って1番大事なことなんだとはじめて気づいた。
今まで言葉ではそれは知っていたけど、身をもって実家したのはこれが初めてのことだった。
健康であるだけでそれは財産で幸せなのだと。
そして、健康である今に何事かを成し遂げないと手遅れになりえるのだ。

予備校の講師がCMで、今でしょと言っているが
あれは、まさしく至言であると思う。

人生は、長いようで短く
どんな人間であれ先を予見することは不可能で、いまを生きるしかないのだと。

結局、胃カメラで検査をしたら癌どころか原因になりえるものは見つからず、原因はわからなかった。
胃が上に来ていてえずきやすいとは言われたものの、
胃壁はきれいだったのそうで、ピロリ菌が生息するような胃ではないとのことだった。
でも、確かに体調はある期間は最悪だったし、自分を振り返るいい機会になったと思う。

そして、生活習慣と己の人生を省みるいい機会になった。

俺は、体調を崩したこととそう思ったことをしみじみとYさんに話したのだけど、

そう。
健康がいちばん大事だよ。
だから、身体を壊したら元も弧もないよ。とYさんは言った。

Yさんは、もともと大 きな会社でエンジニアをしていたのだけど、
父親の介護のために会社を辞めざるえなくなって、長い介護生活を送っていた
経験があるので、健康の大切さについては知り抜いていた。

人生は、好きなことをしたほうがいいよ。
一度きりだからねえ。とYさんは言った。

俺の中で、決意が固まった気がした。

ふと友人を見ると、常連であろうお客さんが入ってくると
素晴らしい笑顔で声をかけている。

あいつ、こんなキャラだったんだ。
生き生きとして働いている。
彼の元気が従業員や店内に伝わってお店の雰囲気が明るいのだ。

Yさんの好きなことをしたほうがいいよ。と言ってくれた言葉が心により響いてきた。

Yさんの娘さんが新卒で就職をしたんだけど、
会社でいじめられて毎日泣いて帰ってきていたのだそうだ。

それを見ていたYさんは、辛いならやめてもいいんだよ。
と優しく声をかけてあげたんだそうだ。

その話を聞いていて、この人は本当に愛情にあふれていて暖かい人だな。と思った。
父親が大病を患うと会社をやめてまで介護を続けたようなお人柄だ。

前に愚痴を言って電話を切るときに、じゃあ頑張ってねと声をかけがちなところを

頑張らなくていいからね。
と言ってくれたときにハッとした。

思いやりがあるYさんらしかった。

帰りに電車の駅で別れる時に俺はYさんと握手をした。
俺も人にYさんのように余裕と愛情をもって接してあげられる人間になりたいと思った。
[PR]
# by masa3406 | 2013-04-25 14:58

孤独感

めちゃイケの矢部と青木アナの結婚披露宴の特番を見た。
披露宴といってもあくまでもテレビの番組用で、あとちゃんとした式を行うんだろけど。

2人は幸せそうだったけど、番組の終わりの方で矢部と相方の岡村が
サッカーボールを使って練習のようにパスを出しながら、
結婚発表からよそよそしくなっていたお互いに本音をぶつけ合おうという趣旨の、
お互いのいいところを言い合うという場面があった。

岡村は心から祝福しているという言葉をそこで矢部にパスとともに
送っていたわけだけど、番組の最初からと同じで表情からどことなくさみしそうな印象を受けた。
俺にはそれが手に取るように寂しい気持ちが伝わってきた。

なぜか俺まで寂しい気持ちになった。

以前も同じようなレスをしたけど、
俺は小中高と男子校で昔からつるんでいた仲良しの友が何人もいた。
そいつらと大学時代や卒業してからも遊びに行ったり休日にドライブに行ったり、
ファミレスで飽きもせずに何時間も語り合ったりしたものだ。
ときに悩みや相談・愚痴をどれだけ聞いてもらったかわからない。

その時は、その男同士で好きなことを語り合ったり、冗談を言いあったりワイワイやるのが楽しかった。
いつまでもいつまでも、そんな楽しい時間や付き合いがこのまま続くと思っていた。

俺にとっては、そういう友達との絆やつるむことが、最大の楽しみやいわば心の支えだったのかもしれない。
幼い頃から親に否定をされて育った俺には、いつもこんな俺でも認めてくれて、
味方になってくれている、常に暖かい友達がいるんだという確かな安心感があった。

裏を返せば、俺はそれだけ自分の存在が心もとなかったのだろう。
自己肯定感がなくて、きっと自分に自信がなかったのだ。

ある日、母にこんなことを言われたことがあった。
高校の時に家で俺を否定する母親と口論になったときに
俺には深い絆の親友たちがいるから、
将来もいつでも遊べるしいつでも助けてくれるし孤独とは無縁だよと自信満々に言い返した。

それに対して母親は、あなたそんなのは今のうちよ。

みんな就職したり結婚して家庭を持てば、仕事や家庭を優先して遊んだり
付き合う時間なんて減るものなの。
そう思っているのは、あなたたちがまだ若いからで、一生続くことなんてないんだからね。
と小馬鹿にしたように全否定してみせた。

そんなことはねえと頭に血をのぼらせて必死に食いついて執拗に反論する俺に、
母親は、そうやって言ってなさい。あなたもそのうちにわかるから。

と勝ち誇ったような顔で言い放った。

それがここ何年かで現実のものとなった。

親友が1人 2人と結婚していくにつれて、
それを機に見事に結婚前の彼らとの付き合いが変わっていったのだ。

それまでは、今晩飯でも食わない?
週末遊びに行こうぜ
みんなでドライブに行こうぜ
野球を見に行こうぜ

こちらの思いつきのまま突然電話で誘ってもいいよ。
と2つ返事をくれた彼らが、限られた日しか付き合ってくれなくなった。

土曜日はちょっと難しいね。金曜日の飲みならいいよ。
ちょっと日曜日は無理なんだよね。

これまで即答だった彼らが、考えてから返答するようになり、時間が限られたりいろんな条件がつくようになった。

人によっては、会えるのが来月になることもある。
たまに相談したいときも、友達によっては今までのようにはいかなくなった。

彼らには、大事なものができて優先事項が変化したのだ。
背負う存在ができたのに、いつまでも仲良くお手てつないでの友達ごっこに浸っている場合ではない。

当然、彼らにも仕事もあるし、家族持ちの事情も理屈としては理解しているのだけど、
彼女から嫁さんになるだけで
ここまで付き合いが一変してしまうことは、独身の俺には想像がつかなかった。
子供ができると、ここからさらに付き合いが限定されることになる。

もちろんそんな事情はわかる。
付き合いが長いのに冷たいじゃないかなどと言うつもりもない。
形あるものは、人間関係であれ必ず変化をしていくのだから。

そこから後を追うように数人が結婚していき、俺もよく遊ぶ友達は、
独身の友達やジムの仲間。会社の独身の同僚と誘いやすい人へとだんだん変化をしていった。

既婚の友達とももちろん付き合っているけど、それまでにはなかった
出現した垣根に配慮しながらの付き合いになった。

そういう変化していく現実をとうに受け入れてはいるつもりだけど、
あいつを誘いたいな。と頭に浮かんだ時に
いや、家族持ちで悪いからやっぱりやめておこうと思いとどまった時など、
今でも俺はちょっぴり寂しい気持ちにならないわけでもない。

現実に直視すれば、いま遊んでいる彼らだって、いつまでこうして遊べるかわからない。
家庭を持たない男は、歳とともにだんだん孤独になっていくのだ。

いま俺は、それを身をもって実感している。

あのときの母の言葉は悔しいが現実のものとなった。

もう夫婦なんで。岡村さんすぐに気を遣うんで、
僕と同じような距離感でこれからは接してくださいと奥さんの青木アナを
受け入れてくれと新郎の矢部さんにお願いされる岡村さんの心もとない姿が、

男子校育ちで距離感がわからずに気を遣うので、
友人と友人の奥さんを交えた付き合いが苦手で避けてきた
俺にとっては、とても他人事とは思えずにいつまでもそれを食い入るように見つめていた。
[PR]
# by masa3406 | 2013-04-07 08:46

歯医者

歯の調子が良くないので、仲良くしている同級生に相談をすると
小学校から高校までの共通の同級生が開業していて、そこに通っていると聞いて
最初に彼に仲介してもらって卒業以来連絡をしてみた。

電話に出た彼に一言どこが悪いの?と聞かれたので説明をすると
じゃあとその同級生の友達が治療を受ける同じ日の同じ時間に来るように言われたので、
駅で待ち合わせて一緒に行ってみた。

小学生の時に何度か彼の家に遊びに行ったことがあって、
その後も高校で部活が一緒だった。
高級住宅街にあるすごく大きなお金持ちの家で、床がワックスでピカピカにいつも
輝いていてツルツルで、そこでムーンウォークをするのが楽しみだった。
飼っている犬が、俺たちが遊びに行くと興奮して、
よくソファーの上に嬉ションをしてたのを憶えている。

けれども、中高では一緒に遊んだことはなかったし、
卒業後は結婚式や同窓会で会った程度なので、
いきなり連絡して仕事を増やして図々しいんじゃないかなとか、冷静に考えてみてちょっと気が引けた。

友達について行くと彼の開業する歯医者はオフィス街の駅前のビルにあった。
こんな街中の便利なところでやっているのか。
大したものだ。

待合室の受付の女性に診療の手続きを済ませると、先に友人が呼ばれて
しばらくして俺が呼ばれた。

待っていた同級生は、歯医者の先生といった貫禄と風格があった。
診療の椅子に座り最初に症状を説明すると
口の中を診て、じゃあまずレントゲンを撮ろう。
と言った。

レントゲンを撮ってから、再び診療の椅子に座ると
今日は歯石を取ろう言った。

俺は、もともと歯が丈夫で虫歯が1本もなかったのだが、
それを過信して高校を卒業以来1度も歯医者に行っていなかったので
歯石が溜まりに溜まって、とんでもないことになっているらしかった。
同級生は、それを器用な手つきでドリルで1つ1つ削ってくれた。

記憶では、彼は小学生の時から手先が起用で、プラモや図工の工作で
作った作品が秀逸だった。
プラモで難しい塗装もムラなくプロのモデラーのように完璧に仕上げていて、
こいつ器用だなあと小学生だった俺は舌を巻いたのを
今でも憶えている。

今は舌を巻いて歯石をドリルで削られている。

この展開が高校時代に予想できただろうか?
不思議なものだ。

彼は父親が歯科医で開業をしていたので、この道に進んだのだけれども
それとは関係なしに手先が器用だし天職だったのだろう。
こうして実家で手伝うのではなく、自分で開業までして成功しているのだろう。

他にも歯医者をやっている同級生はいるのだが、だいたいが親を手伝ったり
あとを継ぐかをして自分で開業している人は稀だった。

同級生が、虫歯ができているよ。と言って
そこを鏡で見せてくれた。
見ると少し黒ずんでいるところが数箇所あって、それが虫歯なんだそうだ。
虫歯は俺には無縁なことだと思っていたので、これにはショックを受けた。

これでしばらく治療に通わないとならなくなった。
削ってくれた歯石のあとは、いくつもの隙間ができていた。

診療が終わってから、彼は診療所を閉めてそのまま3人で飲みに行くことになった。

卒業以来彼と飲んだのは結婚式の帰りの1度だけだったし、
中高でも特に親しかったり一緒に遊んだことはなかったはずなのに、
小学校から一緒だった幼馴染だからだろうか。
部活が同じだったからだろうか。

彼のいきつけの小料理屋で3人で席に座っても違和感なく、
話すことはいくらでも湧いてきて昔話や
俺が前にしていた仕事の業界の裏話なんかしながら盛り上がった。

部活で彼はキャプテンだったのだが、初めて聞いたことだけど俺たちのポジションは個性派が多く、
まとめるのが大変だったそうだ。
俺もマイペースがゆえに彼にきっと迷惑をかけていたんだろう。

酒もつまみも進み、3人には小学生時代のような楽しい時間が流れていた。

こうして屈託もなくお互いに会話ができる同級生とはいいものだ。
最初に久しぶりすぎて気まずくないだろうか。と懸念していたことは杞憂だったようだ。

そうして話し込んでいると、彼がところでお前たちは結婚本当にどうするんだ?
とさっきまでとは違って、真剣な表情で詰問をするように聞いてきた。

彼は既婚で子供が2人いるのだが、俺のことも友人から間接的に聞いていたのだろう。

俺の友達に心配するような顔でこれまでに何回も言われたことがあったけど、
今の同級生も同じような表情をしていた。

今の彼は肉食系で、女の人のネットワークが広くてたくさんの紹介候補がいるらしく、
いつ探すの? 今でしょ!ってことで
2人とも合コンに参加をすることがなぜか即決してしまった。

今までならごまかして断っていた俺だけど、ここは縁とせっかく世話を焼いてくれる
同級生の気持ちを大事にすることにした。

なにからなにまで、すっかり立派になった同級生に世話になりっぱなしの日だった。
[PR]
# by masa3406 | 2013-04-04 07:24