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高校サッカー

母校のサッカー部の応援にでかけた。
今年、結婚した高校時代の友達に数か月ぶりに
今から行くんだけどと思いつきで電話をしてみると、
そいつも途中から合流することになった。

試合は、抜群の集中力と粘り強さで母校が勝利した。
得点が入るとエキサイトして、友達と一緒に叫んでしまった。
我ながら、日ごろあまり大きな感情を出さない俺にしては珍しいことだ。
在学中は、勉強もからっきしだった俺は
学校に対する不平不満が渦巻き反発心に満ちていていたのに
卒業すると、わざわざ出かけてまで母校を応援している。
俺としたこが、なんと矛盾した行動だろうか。
それは、とても自分でも不思議なことだった。

いや。それはたぶん俺が純粋にサッカー観戦が好きだからであろう。

そうに違いない。

そう思いたい。

80分間抜群の運動量で走り回り、相手がボールを持つと追い回し奪い
試合からは後輩たちの死んでも絶対に勝ちたいと思わせるほどの
強い気持ちが、俺たちにはビシビシ伝わってきた。
運動量や守備力は最後まで落ちなかった。
それは執念といっていいほどの気迫に満ちていた。
レベルが拮抗しているなら、勝ちたい気持ちや集中力が勝負を分けるのは
キックでもサッカーでも同じなんだなと思った。

何をするにしても、一番大事なのは、執念であり気持ちなのだ。
松岡修造が叫んでいる通りである。

俺には、何事にも執念やここぞという時の集中力がないからダメなのである。
漠然と物事をやっていてはダメなのだ。

帰りに、そのまま友達と飯を食いに行き
近況を聞くと結婚した時に無職だったのだが、
まだ無職なのだと言う。
友達にはキャリアもあるし
とっくに、就職していたと思ったので驚かされた。
多くは聞かなかったが、不景気で苦戦を強いられているようだ。

最近、就活の合間に前にやっていた格闘技を始めたんだそうだ。
バイトはしていないようで、彼は実家なのでそれでも何とかなるのであろう。

帰りの電車で最後に別れるときに、

今日は、急に誘っちまって悪かったな。と俺が言うと
今日の試合は本当によかったよ。
と言ってくれた。
奴も、俺同様に頑張る後輩から、なにがしかの元気と勇気をもらったようだ。

お互いに早く就職を決めて、いい酒を飲みたいものだ。
# by masa3406 | 2009-09-20 22:29

格差社会

面接帰りに、昼食ついでに立ち寄った上野を
秋晴れで陽気がいいので、スーツ姿でぶらりとしてみた。

マックの裏側から
かつて会社に行く抜け道に使っていた不忍池から歩いてみる。
ここはよく、取引先から社に帰るときに通っていた道だった。
今は秋晴れで、すがすがしくもある池の辺ではあるが、
当時はあまり愉快な顔をして歩いた記憶がない。
今は自発的にぶらりと歩いているけど、生活のために歩かされていたからだ。

池は大きく成長した背丈が高いハスが一面に
びっしりと生い茂り、さながらジャングルのようだ。
小学生のときに、友達がこの近くに住んでいて
ここでよく池の魚を釣ったり大きな亀を覗いたりして遊んだものだった。

いつものように電車で友達の家に遊びに行くと
友達はまだ出かけていて、家の中で子供のアヒルが
ダンボールの中でガーガーやかましく鳴いていた。
どうして、家にアヒルがいるのだ?
友達の母親に理由を聞くと、友達が公園のおじさんがくれたと言って
友達がチャリに乗せて持ち帰ってきたらしかった。

そいつは、よく嘘をつく奴だったので俺は直感的にピンと来た。
そんな公園の管理のおじさんがいるはずがない。
奴はかわいいから、勝手にチャリで拉致って来たに違いない。
それから、大きくなるまで友達はマンションの部屋で
アヒルを飼っていた。
成長をしたアヒルは、さらに大きな声でガーガーと鳴き続けた。
友達の家にはお婆ちゃん、犬に小さい赤ちゃんの妹もいたので、
部屋の中はワンワン ガーガー 赤ちゃんの泣く声で大騒ぎだった。
大きくなったアヒルは体臭を放っていて、部屋の中がちょっと臭かった。
子供心にもマンションの一室でのその光景は、とてもマヌケな光景に見えた。
その後、大きくなったアヒルを再び不忍池にリリースしたらしかった。

今でもそいつとは付き合いが続いている親友の中の1人なのだが、
それについて聞いてみたら、やはりアヒルは拉致って来たのだと
ニヤニヤしながらカミングアウトした。
世話をしていたお母さん。お疲れ様でした。

池の中央にある神社らしき弁天堂の前には屋台が出ていて、
人で賑わいを見せていた。
俺はそこから、小さいときによく親父に連れられて行った
科学博物館の方へと上野の山を登ってみた。

世間は今日からシルバーウィーク、ということもあり
カップルや観光客風の人が多い。
秋の日差しと空気が、俺にはとても心地よかった。
仕事をしていての休日だったのなら、もっと気持ちが良かったことだろう。
途中で大道芸人が、何組かいてパフォーマンスをしていた。

とても穏やかな、秋の昼下がりだった。
道行くカップル達は、みな楽しそうだ。
行楽客が道行くなかで、場違いなスーツ姿の男は俺一人だった。
山を上っていくと、噴水があり
その前の大きな広場にたくさんのテントが出ていて、動物愛護フェスティバルと書いてあった。
子供たちや親子連れがいて賑わいを見せている。
おっ!動物系のイベントかな。興味をそそられた俺は中を通り抜けていくことにした。

斜め見をしてみたが、愛犬のしつけ方教室 と書いてあるテントを見かけた
以外は、具体的になにをやっているイベントなのかはよくわからなかった。

動物好きの俺は、犬の1匹や子猫の2匹でもなでてみたかったのが、
人々とふれあうために放されている動物たちは、見かけなかった。

俺に、動物たちとふれ合わせてくれ-

イベントを背景にした後ろに見える噴水と国立博物館が、明治。大正時代を思わせる風景で
映画の一場面みたいな風景に見えた。
そこを抜けて歩いていくと、科学博物館に出る前の広場に
大勢の人が集まっていた。

またイベントか?

が、なんかその人たちが行楽客でもツアー客でもない様子だ。
どうにも愉快そうではない。
少し近づいてみるとすべて、見たところ50・60以上のおじさん・爺さんばかりだ。

大きなテントが2つ出ていて、大きな列ができていて順番に並んでいて
テントでは、何か食べ物を配っているようだ。
列を待つ人たちは、おとなしく規則正しくしゃがんで待機していて
ざっと見ても300人以上はいる。

それは、ホームレス達への配給だった。
高齢化するホームレス・失業・貧困化 日本の現実がそこにあった。

同じ上野の山でも、笑顔で休日を楽しむ人々
配給に並ぶホームレス達
と見事なまでの二極化をしていた。

うう これは俺の将来か・・・
まるで何かを暗示するような光景に思えた。

今までの、すがすがしい気分から
急に現実へと引き戻されたような気がした。

すがすがしい上野の山を下りながら、思った。
とりあえず働こうと。
# by masa3406 | 2009-09-19 15:03

違い

結婚する友達が、人気のハイブリットカープリウスを購入して、埼玉に納税手続きに行くので
ついでに乗りに来ないかと誘われて、乗せてもらうことにした。
新しい車を手にした友達の顔は、まるで子供のように目が輝いていた。
この車の売りは、なんと言っても燃費だ。
街乗りでリッター23キロには大いに驚かされた。

岩槻で友達のお薦めの美味いというラーメン屋で食べて、
帰りついで戸田の河川敷で一緒に、ヤクルトの2軍戦を見た。
すっかり空が秋の空になっていて、雲が高い。

友達は、今月からカミさんの提案で小遣い制になったんだそうだ。
小遣い制がうらやましいということはないが、
「生活」を築いていっている友達が、とても堅実で立派にうらやましく思えた。

「堅実さ。」

それは、俺にはない要素だからだ。

友達が、オーストラリアのワーホリから戻って、なにもしていなかったり
バイトをしてフラフラしていたのは、ほんの数年前のことだ。
帰国したときに、久しぶりの再会を喜びながら
車で成田空港まで迎えに行ったことを、つい最近のことのように思い出す。

それから友達は、バイトを始めて就職活動資金を貯め
安定した会社に就職をして、最近結婚をして生活が落ち着いた。
友達にも色々と夢があったのだが、現実を見て落としどころをつけ、
落ち着くところに落ち着いたのだ。

俺だけが、行き当たりばったり
感情の赴くまま動き、同じ地点でフラフラしている。

見ようによっては、ある時点までは同じ立場だったんだし、
それはちょっとした運命の差に見えるかもしれない。
小中高で、母親によく友達や級友を引き合いに出されて
なぜお前は駄目なんだと。違いやだらしなさを指摘されたものだった。
そのたびに俺は、うるせえな。
たまたま、あいつは運がよかったんだよ。とか
頭も違わないし、そんな違いはないなどと反発をしていた。

この歳になると、なかなか性格の根本を注意をしてくれる大人はいないものだ。
だけど、それはそうではなかったのが
誰も言ってくれない今になってみてわかるのだ。
 
その差の中には、忍耐力・堅実さ・計画性・努力という要素が詰まっている
とんでもない違いなのだ。と
そして、それが俺を駄目人間たらしめている
欠落している正体なのだと。

ほかにも、仲がよい友達が何人か結婚したり
安定した生活を築いている。
それを俺は、へーあいつもすげえなあ。いよいよかよ、えらいなあ。
と漠然と他人事として見ていた。
それを見て、何かを感じたり自分を省みることはなかった。
あいつはあいつ。と
そこから、何かを学んだりすることはなかった。

違いが、身近な周囲の人生で形・差となって表れていたのに
これまでの俺は、それに鈍感で気づかなかったのだ。

俺は、考え方がこのままだと、もうこれからも同じなんじゃないかな。
と思った。

これからも永遠に
# by masa3406 | 2009-09-18 23:29

大切なもの

とうとう、来月は友人の結婚式だ。
長く付き合っている友達
お祝いをしてやりたいので、金を稼がないとならない。
職探し以外、毎日暇を持て余す生活を2か月してみて
退屈さに耐えられなくなってきている。
体のエネルギーが有り余っている気がする。
引きこもり同然の知り合いがいるのだが、俺には日中の引きこもりすら
長く続けるのは無理なことがわかる。
それは働いていたりして、たまに自由があるからこそ
自由な時間を楽しめるのである。

元来、働くことが好きではないと思っていた俺ではあるが、
2か月昼間から夕方にかけて、職探し以外はおおむねすることがない
生活をしてきた俺は、その退屈さがそろそろ限界に達してきつつある。

人間とは社会動物であり、俺もたぶんそうなのであろう。
少々不満を抱えたり、文句を言いながらも働き続けるのが
俺の姿なのであろう。

今のような、職探し以外はとことん無駄を省いた
不自由な生活をしていると、
自分の生活であり人生のライフスタイルにとって
何が大切で、何を守らないといけないか
そのものの姿が克明に見えてくる。
いわば、金銭的な制限があると
なにができないことが、いちばん自分にとって苦痛なのかがわかってくる。
これは、普通の生活をしている時はなかなか
わからないのではないだろうか。

俺にとってはそれが、友達付き合いやジムの仲間との交流や活動のようだ。
大切なものは、恋愛でもないこともわかった。

こうして、不自由な期間を過ごすことで己と向き合って
己を知るということも
もしかしたら、自分の人生にとっては無駄なことではないのかもしれない。
と感じた。

でも、長すぎると困るが・・。
# by masa3406 | 2009-09-14 13:37

外野の人間

最近の俺はといえば、前のバイトを辞めてから
早くも2ヶ月が経過して日に日に焦りが増している状況にある。
夜のバイトへは行っているものの、なんか自分が社会から隔絶されているような
己のだめ人間感をひしひしと感じている毎日だ。

そんな精神状態の中、夜のバイトで20歳くらいの子が
理由はわからないのだが、俺に好意を露骨に出してきて
非常に面倒なのだ。
まったく見る目がないぜ。

その子にも、ほかの子同様に普通に接していたつもりだし
なぜ俺がロックオンされてしまったのは謎だ。
明日も将来もわからない俺に、恋だの愛だのは考えられないことで
今そんな場合ではない。
悪いが応えてあげることはできないし、
まずは衣食住であり、俺はマイナス地点。置かれてる立場が違うのだ。

今の俺は、友達やジム仲間しか深くは関わりたくないし
本当の話 俺をそっとしておいて欲しいと切に願う。(´Д` )

ほかの仲が良い子たちとは、恋愛相談とか聞かされたり
お互いに等距離が保たれている分、仲良く接することができるのだが
この子は接してくる距離が近いので、
接することすら疲れるので、気がつくと避けている俺がいる。
俺は、あくまでも精神的にも外野の人間なのだ。

俺は単なる無職。
今の俺に必要なのは、愛情ではなく仕事の確保であり
どこまでも現実でしかない。
その子には見る目を持って、早く然るべき相手と
いい恋愛をして欲しいものだ。
# by masa3406 | 2009-09-10 05:28