距離

お花見に行ってきた。
一緒に行ったのはバイト先の20歳の子で、田舎から東京に引っ越してきてまだお花見をしたことがない
ということだったので、話の流れで一緒に行くことになったのだ。
普段のその子は穏やかな性格で、おっとりとして物静かで性格がいい子だなという印象を抱いていた。

待ち合わせは上野駅の公園口だった。
俺は車で出かけたわけだが、その日は平日なのに
春爛漫の天候で花見客が押し寄せたのであろう。
上野の周辺が渋滞で車がいっこうに進まない。

駐車場もどこも満車で、それならと待ち合わせ場所の公園口へと登る坂は車が連なって動いていない様子だ。
もうちょっと待っててくれと電話をするも、どうにもこうにもならない。

仕方なく不忍の池を抜けて裏から上野の山を登り、
ようやく空いている駐車場に停めたわけだが、そこが思ったよりも
待ち合わせ場所から遠く、東京芸大のある裏手から回って行くも30分近くも遅刻してしまった。

花見客で賑わう、穏やかな午後の公園口の文化会館の前でその子は穏やかに笑顔さえ浮かべて
じっと座って待っていた。
遅れたことを謝罪すると、待たせたことにも少しも怒らずに、
いいよ~ と屈託のない笑顔で言ってくれた。

上野の山の1200本はあると言われる桜は満開で、京成の駅の方向へと下りながら
平日とは思えないほどに訪れた大勢の人たちが思い思いに桜を見ていた。
人はきれいなものを見ると自然と笑顔になるのだろう。
見ている人たちの顔は、日頃のストレスも悩みも今日はどこかに置いてきてみんな笑顔だった。

その子も心からリラックスした表情で、満開の咲き乱れた桜を目の前にずっと笑顔だ。

桜が沢山あることや場所取りをして酒を飲んでいる人たちをもの珍しそうに見ながら、
お弁当でも持ってきたら楽しそうだね。とその子は言った。

そこから不忍の池に抜けて、同じく満開の桜並木が続く不忍の池のまわりを歩く。
歩きながら、何回か桜を背にその子に撮ってくれと頼まれてその子のスマホで撮ってあげる。

反対側の水族館側の池に浮かぶボートを見ていて乗りたそうにしていたけど、
残念ながらその時間はなかった。

弁天堂と言われる五重の塔の周りにはお祭りの屋台が沢山出ていて、
その子はニコニコしながら並々ならぬ関心を示している。

思えばこの道は、昔この近くの会社で働いていた時に上野駅から帰社するときの抜け道に
使っていた。
普段は、こんな賑わうお祭りの雰囲気ではなく、人もまばらで寂しさすら感じるその道を
夕刻時に俺はそこをくたびれた顔で歩いていたものだ。

あの頃から、何度も回り道をしながら相変わらず俺は不安定な人生を送っている。
正社員ではあるけど、将来への確固としたビジョンを持ててない俺は、
とても情けないことだけど、いまだに社会に対して心もとない漠然とした不安を抱いている。

まわりの友達は結婚して背負うものを背負い
仕事で築きあげたポジションに就いているのに
俺だけ何も変わっちゃいない。

焼鳥やお好み焼き たこ焼きと屋台が並ぶ中を
海のある田舎で育ったというその子は、きっと魚派なのだろう。
串に刺したタコを焼いている屋台の前で、これを食べたいと目を輝かせながら言った。

普段は肉派の俺は悩みながらもつぶ貝を頼み、池に面したテーブルと椅子が設置されたところで、
座って2人でそれを食べた。

中身から溢れ出る汁を垂らしながらイイダコにかぶりつくその子は、美味しいと何度も言った。
女の子なら嫌がるかもしれないのに気にしない様子に性格のおおらかさを感じた。

俺もつぶ貝にかじりついてみると思いのほか、コリコリして美味かった。
これ美味いよ食べてみ、とその子にあげた。

不忍の池と桜並木を見ながら食べるのもいいものだ。
お酒を飲みたくなるね。とその子は言った。

そこから再び上野の山の桜を見ながら登り、駐車場へと戻って
晩飯を食べに行くために車を走らせた。

車中で、その子の家庭の話や高校時代の話になった。
その子の父親はアル中で離婚をして母親と暮らしているらしかった。
高校時代から、夜の仕事を年齢を偽ってしていたそうだ。

父親のことに触れた時に、父親に対する大きな嫌悪感が言葉の端々から感じられて、
暗澹とした気持ちになった。
この子は、この若さにして本来はその年齢の子がしなくてもいい苦労をして、
心に深い傷を負ってきたのだろう。
1人で戦ってきて、見なくてもいい大人の世界を見て生きてきたに違いない。

話しているとジムの同じような年齢の子の素朴さとは大違いで、
大人びていて生き急いでいるような印象を受けた。

俺は、普段は穏やかで笑顔のその子の陰の部分を見た気がして、
桜を見ていた時と違って距離を感じた。

俺も高校時代は留年をしたり荒れていたこともあったし、背伸びをしていたこともあったけど、
ガキの男の純粋さや子供っぽい幼稚さや夢がふんだんにあった。
彼女からは、それとは違う大人の部分ともっと深い心の傷を感じたのだ。

もっと、楽に生きろよ。
もう頑張らなくていいよ。

と本当はその子には、言ってあげたかった。

けど、事情をよく知らない他人の俺がとやかく言う事ではないのでやめておいた。

それからレストランで飯を食べて、その子を送って友達の家に行って代表のサッカーを見た。
サッカーも負けてしまい
なんかどっと疲れた1日だった。
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# by masa3406 | 2013-04-01 04:09

似た者同士

地方の友人の結婚パーティーに出席してきた。

パーティーが行われるのは夜だったのだが、俺は早めに家を出て新幹線で名古屋で下車をして、
楽しみにしていた、『なごや飯』のあんかけスパと味噌煮込みうどんを食べに行った。
飯を食うのがなによりも好きな俺は、地方に行くならその土地のうまいものを食べる。
これだけは譲れないのだ。

あんかけスパの店は中心街の栄だったものの、味噌煮込みうどんの店は地下鉄で郊外まで行ったので、
それなりの時間が経過してしまった。
そこから栄のデパートでお祝いのお菓子を購入してから、再び電車で近隣の都市に向かう。

今回は新郎の計らいで宿泊先のホテルが用意されていたわけだが、
寄り道をしないで直接向かった友人2人はもっと早く到着していた。

その際に新郎と新婦に挨拶をしていたらしいのだが、俺は名古屋でのんきに飯をはしごしていたので、
ホテルに着いたのは、始まる1時間半前だった。

友人たちは、新郎・新婦と話したり2人から馴れ初めを聞いたらしく
俺も飯はどちらか1つにして、顔を出しておくべきだったなと少し恥じた。
新郎が、俺がなかなか着かないことに焦っていたらしいことをあとから友人たちに聞いた。

会場は繁華街らしき街のレストランで、再会をした俺たちは陽も暮れ始めた地方都市で
ホテルからタクシーで会場へと向かった。
あたかも3人で地方に旅行に訪れたようで、こういうのも非日常的で新鮮な感覚で、
心が踊った。
大通りから1本道を入り、会場らしきレストランの前でタクシーが停った。

照明が暗めのおしゃれな雰囲気の店に入り階段を上がると受付けは、
新婦の友人であろう若い女の子2人だ。
ポラロイドで撮られてメッセージを書く恒例のを行う。

中に入ると、新婦が20代前半と若いらしいので若い女の子が多い。
司会進行も新婦の友人のようだ。

俺が普段の夜のバイトで接するような感じの子はいなくて、
普通っぽい感じのする堅実そうな子ばかりだ。
俺は、夜の世界が長いので、夜の仕事をしている人種はなんとなく雰囲気 
立ち振る舞いから醸す臭いでわかる。

交友関係は、自分を映す鏡でもある。
新婦さんは、きっと堅実な家庭で育った真面目な子なのだろう。
彼は、クラブで飲むのが好きだったようだけど、友人の女を見る目は確かだったようで、
奥さんは昼間の普通の子を選んだようだ。

席についてしばらくすると、新郎新婦が入場してきた。
ウエディングドレスに身を包んだ若い新婦さんは、きれいな人で幸せそうな笑顔だ。
対する友人は照れくさそうな顔をしている。

そこからは、俺たちは男3人で酒を飲み料理を食べながら、結婚と久しぶりの再会を祝った。
3人のうちの俺を入れた2人は未婚なのだが、1人に本当にいつ結婚するの!
と真顔で聞かれて、2人していやあ・・・。と返答に困って笑ってごまかす。

途中でお色直しがあり、2人に質問タイムがあった。
質問に対する返事を新郎新婦で仲良さそうに相談している空気が、
年齢は離れていても似た者同志の雰囲気を醸し出していて、
それを見ていて、なんかいいなあ。と率直に感じた。

友人も天然でのんびりした人間なのだが、嫁さんもいかにもそんな雰囲気が漂っている。
男女は、どこか似た者同士がひき合うものだ。
似ていないで無理にすり合わせているとなかなか続かないものだ。

似た者同士が寄り合って支え合うって、無理なく自然で素敵なことなんじゃないだろうか。

俺は普段は、結婚式に列席しても他人事でよかったなあくらいしか思わないのだけど、
それを見ていて、結婚もちょっといいもんだな。と初めて思ったのだった。
2人はとてもいいカップルだったのだ。

パーティーが終わってから、俺たちはシャッター通りの寂れたような繁華街の中にある
味噌煮込みの鍋の店に行き、鍋をつつきながらまたそこで飲み、
最後はホテルの最上階のバーに移動して、男3人で懐かしい話をしながら飲んだ。

友人は結婚するし、こうして3人で酒を飲めるのも俺たちにとっても至福なひと時だった。

翌日は、友人と観光をしてから解散したのだが、こういう機会をくれた新郎には
おめでとうという気持ちと感謝をしたいと思う。
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# by masa3406 | 2013-03-25 07:23

関係崩壊

今、俺には友人とのことでちょっとした悩み事があった。

俺は、去年転職をしたわけだが、その前後は時間と精神的に余裕がない時期でもあった。
ちょうどその頃に何度か小学生時代からの友人Nからの着信があったのだが、
忙しくて出れていなかった。
これが後になって問題になるとは、その時の俺は予想だにしていなかったのだが。。。

言い訳をすると、同時期に親友が死んでしまったり、転職活動から就職。慣れない職場への適合と
覚えることも多く心身ともに疲れていた。

その時期は、どちらかといえば、境遇を共感できる前の職場の人間関係が優先されていて、
会ってお互いの悩みや先々を話したり情報を交換していた時期でもあった。
それ以外には、現状や自分の将来の悩みを話せなかったからだ。

Nからの電話を意図して放置したとかそういうわけではなかったのだが、
落ち着いたらまた電話しようと思っていて、気がついたときは2ヶ月もの間放ったらかしになっていた。

自分の中では、落ち着いたら連絡すればいいやくらいの認識だったわけで、
これは俺の後回し癖の悪いところだ。

社会人になれば誰しもそういう時期や、可能性はあるだろう。
誰でもいつも人生が楽しく常に明るく順調だというわけではない。

逆境や仕事に悩む時期もあるだろう。
あるいは、病気でもして一人になりたくなるかもしれない。

男という生き物は、プライドが高い生き物で、苦境に陥ると弱みを見せんと人を遠ざけて1人になって
それを解決しようとしがちだ。

苦境から脱するまで、それを話さずに身を潜めて1人で戦い
傷が癒えるまで耐えるのだ。
だから、男は悩みや問題を抱え込んだまま自殺してしまう人が多いのだろう。

男はそれを脱したり問題解決をして元気になってから、
実はあの時はこんなことがあってと初めて親しい人間に吐露する傾向が多いものだ。

俺も、仲良くしている付き合いの長い友人が、しばらく連絡が取れなかったりすることは、
これまでに幾度もあったものだ。

そんなときは、あいつはいま忙しいのかな。忙しくて余裕がないのかな。なにか事情があるんだろう。
まあ、いろいろあるさと思って
そっとしておいたし、自分の中でそう処理をしていた。
連絡が取れないことを、とりたてて無視をされたとか、それに対して腹を立てるようなことはなかった。

やがて相手から連絡が来て、またいつものように飲みに行ったり遊びに行く日々がもどる。
再会しても、互いに一切のしこりもわだかまりもなく前のように楽しく一緒に過ごす。
そんなことは、今までに何度かあったものだった。

だけに、俺もそうやって受け入れられるものと思っていたのだ。

転職して正式に部署に配属された頃だろうか。
Nと共通の友達2人 SとIがいて、お互いの職場が転職先から近いので、
たまに会社の近くで昼飯を食べるようになった。

その時Iに、この間Nと会った時にお前が全然電話をしても出ないし、もういいよあいつと怒っていた
というようなことを言われた。

そんなに怒っていたことが寝耳に水状態だった俺は、
それを謝ろうと翌日に電話や謝罪のメールをしてみた。
ところが、電話にはまったく出てくれないしメールも返信が来ない。

Iの言葉は冗談ではなくNは本当に怒っていたのだ。 

それから時間を置いて、意を決して再び電話やメールをしてみるも一方通行。
返事をしないのが彼の俺に対する答えであり、

怒りが相当なものであることが伺えた。

絶対に許さない。絶対にだ!と聞こえてきそうなほど頑なさを感じた。

目には目を 歯には歯をの復讐ということなのだろうか。

彼との小学生からの付き合いでこんなことは1度もなく、戸惑いを隠せない。
思えば、喧嘩らしい喧嘩をしたことはほとんど記憶にない。

こんなときどうしていいのだろうか?しかも相手は幼馴染の男友達。
男同士の関係としては、なにか変だ。
それを取り繕おうとする俺も変な感じだ。

そう。
妙な感じが拭えないのは、俺が好きな女の子と喧嘩でもして怒らせて無視されてしまい、
ご機嫌を直してもらうためにどう取り繕おうかと考えているような感覚がどことなくするのだ。


そもそも、こういう心の部分の行き違いの誤解や揉め事の処理は俺にはめっぽう苦手だ。
俺はあまり自分の感情を言葉にして表現をしたり、話すことは得意ではない。

何かに根に持つタイプだとは思っていなかったので、予想外のギャップに
仲直りをするには、どうしていいかわからないし、とてもそれを解決する術はない。
自分の中でこれ以上考えても、答えが出そうになかった。

困った俺は、Nと連絡をよくしているIになんとか仲を取り持ってくれないかと頼んでみることにしたのだが、
奴はやれやれと苦笑いをしながら、わかったよ。会った時に言っておくよ~と軽~いお返事。

多分、間に入るのが気が進まないのだろう。
あまり期待できそうもない。

今度はSに電話をしてみると、そんなことであいつスネちまったのかよ。社会人なら忙しいんだなって、
普通は思うくらいだろ。と笑われてしまった。
だって何かお前が大喧嘩をしたとか、奴にひどいことを言ったとかそういうことじゃないんだろ?

言われてみれば、たしかにそうなのだ。なにか決定的な大喧嘩をしたわけでも
致命的な仲違いをしたわけでもない。

スネちまった手前引っ込みがつかないじゃないの?しばらく時間を置いてから
連絡をとった方がいいんじゃない。
それか俺ら4人で会う機会を作って、そこで自然に仲直りをすればいいんじゃない。と
クレバーな彼らしい的確なアドバイスをいただいた。

奴は乙女のハートの持ち主だなと最後にSは、またゲラゲラ笑った。。

やっぱ、普通の感覚だとそうだよな。と少し安心をする。

いつ仲直りできるかわからないけど、幼馴染でありいい大人の男同士でも
こんなことがきっかけで思わぬ誤解を生み関係がぎくしゃくするのだから、
人間関係って本当に不確かなものなんだなと思わされる出来事でもあった。

これからは、できるだけ電話やメールに対してマメになろうと思う。
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# by masa3406 | 2013-03-09 10:53

撮り鉄

ネットを見たら、昨今の鉄道を撮影するオタク「撮り鉄」が、
電車をホームから撮影するためにカメラを遮ったり、
カメラに入る乗客を邪魔だと怒鳴りつけたり、
撮影するためにホームから近づきすぎて電車を止めたりする輩がいて、
撮り鉄は異常だという論調で語られて叩きに叩かれていた。

何を隠そうこの俺も、小学生時代は電車が好きだった。
実家に車がなかった俺は、物心がついた時から親とどこに行くにも
電車だった。

当時はあちこちにカラフルで個性的な車両が走っていて、
それで、いつの間にか鉄道の車両に興味を覚えたのだろう。

小学生時代は、1人でも電車に乗りに行ったり
わざと通学の電車を乗り過ごして遠くまで行ってみたり、
そこから私鉄に乗り換えて乗ってみたりと、
好奇心の赴くままにあちこちの電車に乗りに行った記憶がある。

親に、なんで学校から帰るのがこんな遅いの!とよく怒られたものだ。

ときに同級生3人で、新しい電車が開業したり新しい駅ができたらさっそく
開業日に乗りに行ったものだ。
小学生3人で西船橋の駅で食べた立ち食いそばの味は、今でも忘れられない。

入っていたサッカークラブの合宿で、よく長野県の菅平に行ったのだが
その時もワクワクしながら電車の車窓をひたすら見ていた記憶がある。

まあ、野球が好きだったり漫画 ゴジラ 怪獣 プラモ ヒーローもの プロレス ゲーム
 サイクリングの自転車 スケボー ローラースケート
と他にも好きなものは尽きることなく
浮気性であまり一貫性のない奴だったわけだけど、
俺の小学生当時の将来の夢は、電車の運転手かプロ野球選手だった。

そんな俺も、父親のカメラを借りて何回か電車を撮りに行ったことがあった。
それは本格的なものではなく、
ほとんどがホームから気に入った電車を撮る程度のものだったけど。

だけに、その撮影している人の気持ちが少しはわからなくもないのだ。

大学時代にこんなことがあった。

当時栃木県に住んでいた俺は東京から泊まりに来た友達2人と
ドライブに行った帰りに、鬼怒川の河川敷をぶらぶらしながら遊んでいた。

高校時代野球部だった俺らは、それは野球をやっていた人間の習性といってもいいいだろう。
いつしか、次々に川に向かって石を投げ込み始めた。

どれだけ遠投ができるかと水平に投げて何回はねるかを競う、よくある遊びだ。
何投かしたころだろうか、

(`o´)コラ~ッ!!という怒号とともに血相を変えた50代くらいのオッサンが河原の大きな石を持って、
俺たちに向かって走ってくるではないか!

あの大きな石で俺たちの頭をカチ割るつもりなんだろう

こいつはマジキチか?ぶっ殺されるわ!!

尋常ではない殺気と迫りくる身の危険に焦った俺たちは、その場から脱兎のごとく逃げ出した。
逃走しながら振り返ると、そのオヤジは追いかけることをあきらめたのか、
石を抱えたまま、また川原へと戻っていった。

い、今のはなんだったんだ? 石を投げてなんであんなに怒ってるんだ?
思わず顔を見合わせる俺たち。

石投げをしていなかった度胸がある1人の奴が、その親父のところに行って、なんなんだよ?
と文句を言いに行ったら、釣りしているのに邪魔されてつい怒ってしまった。
やりすぎたから、謝っておいてくれと言われたとのことだった。

戻ってきたそいつにそれを告げられて、河川を見ると釣り竿がいくつか仕掛けてあることに気づいた。

俺たちが石を投げたので、魚が逃げてしまって釣りにならないので、
それで爆発したのだ。

まだ若かった俺は、だけど、ここはそのおっさん専用の河川敷じゃないよな。
公共の場所じゃねえか。
なんで、怒られなきゃなんないんだよ。
と、どこか釈然としない気持ちのまま、俺たちはそこから引き上げたのだった。

ホームで鉄道を撮影する人の願望は、お目当ての鉄道車両のみをカメラに収めたい。
ベストショットやいい角度があるのでそれを撮りたい。
そのシャッターチャンスは限られていて一瞬が勝負。

さっきの釣り人ではないが、朝から場所を取り
セッティングをしてその瞬間に懸けて集中をしていて
それが妨げられて、準備してきたのに思い通りに行かなくてあー!もう!と激昂するのだと思う。
三脚まで持参をして撮影をするような人は、半ばプロみたいなもので職人気質でもある。

例えるなら、グラビアアイドルのベストショット いい表情をする千差一隅のチャンスを逃さんと
撮ることに集中しているプロカメラマンの心境といってもいいだろうか。

さっきの釣り人ではないけど、ただそこに熱中していて馬鹿になっていて必死なのだ。

だったら、公共の場所でやるなよ。
マナーを守れよって話であって、肯定的なことは一切レスするつもりはないんだけど、
異次元の気違いみたいな論調が多くて、それだけは残念な話で、
ただただ純粋にベストショットを撮りたいがゆえ
そこを追求したらこうなってしまいましたの根は純粋で馬鹿な連中。

それにはそういった背景があるということを、ちょっとだけ理解してもらえたらとは思う。
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# by masa3406 | 2013-02-24 02:57

ダイ・ハード・ラスト・デイ

日曜日に大学時代の友人にうまいラーメンを食べに行かないかと誘われたので、
帰りに14日に上映が始まったダイ・ハード5
ダイ・ハード・ラスト・デイ を観に行かないと誘ったら、OKしてくれたので観に行った。
俺はダイ・ハードはパート1から見ているのだが、邦題のラスト・デイは完結編なんだろうな
と受け取り、これはぜひ見ねばと思い立ったわけだった。

ダイ・ハードは、毎作上映時間はそこそこ長いので、あらかじめ上映時刻を調べたのだが、
妙に上映時間が小刻みなことに違和感を覚えた。
きっと、流行りの映画なのでいくつかの部屋で同時上映でもしているのだろう。
そう思った。

食べたラーメンは、過去に味わったような味でわざわざ行くまでもなく期待はずれだった。

そのまま車で映画館が入っている、日曜日で家族連れで混んでいる
ショッピングセンターへと向かった。

通路を歩き端のにある映画のチケット売り場に着くと、あと10分で上映時間とのこと。
封切られて初めての日曜日ということもありほぼ満席だった。
席は前の方しか空いてなかったのだが、
これが池袋 新宿 渋谷だったらこうもいかなかっただろう。
こんなギリギリに来て、待たずに観れるのだからラッキーと思おう。

若いカップルばかりと思いきや、
客層は、思いのほか50代60代の年齢が高めの人も多いことに気づく。
60代の夫婦らしき人たちも何組もいる。

日本で上映されたパート1は1989年なので、
その時に見た人がそのまま年齢が上がっているのだろう。
それだけ歴史があり、幅広い年齢層に愛されてきたシリーズなのだ。

席は前から5列目くらいで、こんな前で見るのは生まれて初めてのことだ。
俺たちの席が最前列だ。
映画館は、通常前の席から後ろの席へとなだらかな段になって上がっているが、
見やすいベストポジションはちょうど中腹の真ん中付近だ。

すなわち、演劇やライブや野球観戦ならかぶりつきの席だが、
映画だと実に最悪なポジションだ。

なにしろ間近で見るスクリーンの大きさが尋常じゃない。
人物の顔が、顔だけ抜いた寄り過ぎのカメラみたいだ。
常にドアップ状態かつスクリーンの面積が広くて違和感が半端ではない。

PCの画面なら、サイズを小さくするところで、
「テレビを見るときは部屋を明るくしてできるだけテレビから離れて見ましょう」に反して
できるだけテレビの画面に近づいて見ているような感覚だ。

長い映画の宣伝が終わって、いよいよ本編が始まると、
ひと目で全体のサイズを見ることが不可能なので、
字幕が下の部分に出るので、一度字幕を見てから上の絵を見ないと
ならないことに気づく。

字幕を見ると、字幕しか見れないのだ。
これは不便だ・・・。
出るたびに目を字幕→上の画像と上下に動かさねばならずに大忙しだ。

スマホに例えるなら、5インチでサイズが大きすぎて、画面操作に下の物理キーに指が届かない状態
といったらいいだろうか。

あれ?なにか例えが変だ・・・

対象物があまりにも大きすぎて、目で見える画角に収まらないのだ。
こういう経験もあまりなく妙な感覚でもある。

そこで、どうしたものかと考えた俺は、椅子に浅く座りそっくり返ったような体制に固定をして、
それで字幕と画面となんとか一緒に見れるようにすることに成功した。
しかし、この姿勢で長時間見るのが辛い。

内容は大味で説明をするまでもない馬鹿馬鹿しさなので割愛するが、
今回の舞台はロシアで、CIAの諜報員である暗殺をしようとして逮捕された息子の身柄を引受に
ブールースウィルスがモスクワに赴いたところから始まり、
飛び入りで息子の任務を助けることになっていく、
親子で共闘してアクションを行って敵を倒すストーリーだ。

ずばりテーマは親子愛で、敵も親子で互いに親子タッグ対決だ。

のっけからド派手な爆発シーンやらカーチェイスやら
アクションシーンが展開されていき、息をつかせない実にわかりやすい大味な展開だ。

前作もそうだったのだが、最近のダイ・ハードはどれだけアクションシーンをダイナミックに映すかに
こだわっていて、それがストーリーを追い越して独り歩きしていて、エスカレートしているように見る。

いらないことに大金を使いすぎているんじゃないだろうか。
あくまでもストーリメインで、そこにアクションを組み込んでいっている気がしない。
大きなアクションシーンがまずメインディッシュで、そこにストーリーがはさまれているようにすら感じてしまう。

ブルースウィルスも息子も一発即死状態のアクション場面が最後までかず数えられないほどに続き、
どんなに高いところから落ちても、熱風に吹き飛ばされてもカスリ傷程度しか負わない連続には、
心の中で突っ込むことすらもはや野暮で、これは人間マクレーン刑事ではなく
中身は絶対に壊れないマシンか不死身のターミネーターということで納得することにした。

最後の決闘の地であるチェルノブイリでは、防護服も着ないまま原子力施設に
乗り込んでいくシーンや、敵が持ち込んだ放射能中和ガスをひとたび放てば、
たちどころに放射能の数値が下がっていき、もう大丈夫と敵が防護服を脱ぐ馬鹿馬鹿しい
ご都合主義は、ギャグ漫画状態だ。

そして、一番驚かされたのはいつもなら2時間30分は上映されていた映画自体が、
なんとたったの1時間30分で終了してしまったことだ。
洋画で1時間30分しかない映画は珍しいのではないだろうか。

これまでのダイ・ハードなら、全体的に大きな死闘が3つはあるのだが、
それが予算削減によるものなのか、何かは謎であるが今作は最初と最後で終わりと
短縮されていた。

また、いつものマクレーン刑事が、なんで俺はいつもついていないんだ。
こんな目に遭うんだと途中ピンチになった時に泣き言を言う、
いわゆるダイ・ハードシリーズ伝統の人間臭いシーンが、なかったのも実に物足りないものであった。

そして、今回はダイ・ハード・ラスト・デイとタイトルでうたっているのだが、
最後までどこにもこれで最終作を匂わす場面も説明もなく、
まだまだ続くことを予感させるもので、これも想定外であった。

とまあ、今作は今までのファンにはがっかりな内容で、
前作といいどんどんつまらなくなっていくのが残念なところだ。
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# by masa3406 | 2013-02-20 20:00

あの時の笑顔をもう一度

以前の職場で仲間だった人と、今でも数人交流をしているのだけど、
その中でもとりわけ仲良しなのがHさんだ。
Hさんは、高校時代部活でラグビーをやっていた人で、九州出身で
ガッシリとした体格でとても熱い人だ。
昔は血の気が多かったらしく、喧嘩で警察のお世話になったこともあるらしい。
曲がったことが嫌いなときに頑固な熱血漢で、同時に非常に繊細かつ気配りが細やかな人だ。

どんなきっかけで仲良くなったかは、俺はよく覚えていないのだが、
俺のことを礼儀正しくて気を遣う人だと思っていたそうだ。

そんなHさんが俺に象徴的なことを言っていたのだが、

一般的に礼儀正しい人ほど、実はそのソフトな外面とは裏腹に
内面が短気だったり、人付き合いにおいてストレスを抱えやすいんだそうだ。

それだけ礼儀正しかったり気を遣うということは、裏を返すと他人の自分に対する接し方や言葉。
気遣いの有無など些細なことにも敏感に気づくわけで、
それだけに、些細なことで内面で腹が立つことが多いんだそうだ。

だから、この人は腰が低く礼儀正しいから恐くないやとなめていたり、扱いを軽んじていると、
実は人一倍烈火のごとく腹を立てていたりすることがあるものらしい。

Hさんとは、家が偶然近所だったこともあり、去年職場が一緒だったときは、帰りに数え切れないほど
駅の周辺で飲んだものだ。
一緒に飲みに行くと、Hさんはとにかくビールをよく飲む。
そのピッチたるや尋常ではなく早く、俺の倍のペースでビールをあたかも水でも飲むかのように消費していく。
同時に2本注文して1本をあっという間に飲み干すこともあるほどだ。
彼は非常にトイレも近いので、飲んでは出して飲んでは出してを繰り返しているようなものだ。
そんなだから、Hさんと飲む時は飲み放題がある居酒屋に行くことを常としている。

前は大きな商社でバリバリ仕事をして活躍していたらしく、話していてもとても聡明な人で、
いろんなことによく気づく人だ。
でも、一緒に仕事をしていた時も妙に粘りがなくすっぱりとあきらめが良いところや
今日は休んじゃおうと思うとたまに会社を休むところとか、
人間臭い弱さも兼ね備えていて、そんなHさんが俺はとても好きだ。

俺も弱く自分に甘いので、そんな人柄に触れてホッとするのだ。
これがガチガチに厳しい人だと、息苦しく窮屈でとても付き合えたもんじゃない。

そんなHさんと今でも交流は続いているのだが、一緒に働いていた時と比べると
エネルギッシュなHさんが、最近どこか元気なく感じるのだ。
背中も寂しげに感じる。

職場で一緒だった当時Hさんには、もう10年以上も付き合っていた子持ちの彼女がいて、
その彼女の家とは家族ぐるみの付き合いをしていた。
頻繁に互いの家を行き来して、夕飯を作ったりすることもあるらしく、よくその話を俺にしていたものだ。

Hさんは、これまで付き合ってきた人間関係の中でも珍しいほどに
非常にマメで面倒見が良いところがあって、彼女や子供は生活の上で
様々な細かなサポートを受けていたように思う。
偶然、街で一緒に歩いている時にその彼女に遭遇して挨拶をしたこともあるのだが、
スリムでとてもきれいな人だったことを覚えている。

Hさんも彼女も、お互いにもういい年齢なのだが、それなりに大きい子供がいることでそれだけ長い
年月付き合っていて、結婚には至っていなかったらしい。

当時、よくその子供の教育面で
その子がなまけもので、ぐうたらでどうしようもない。とよくHさんが愚痴をこぼしていた。
ラグビー部でキャプテンまでつとめたHさんには、
身内同然の人間が目の前のことに頑張らないことを、きっと許せないのだろう。

俺は、子供はある程度以上の年齢になれば、
自由に考えたり行動をしたい感性や個性があるので、いくら押し付けても
思い通りにはならないし、思うようには育たないものだと思っている。

自分がそうだったし、結局、何かをやるもやらないも本人のやる気や思い。
自覚の問題で本人次第なのだ。

やる子は黙っていてもきちっとして頑張るし、やらない子はいくら尻を叩いてもやらないもので、
牛を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。とはよく言ったものだと思う。

これはなにも子供だけに限ったことではなく、頑張ったり努力できるのも才能のうちなのだ。
また、その何かをする時に原動力として重要になる集中力の有無も大きい。

でも、Hさんはそのあまりにも熱い性格がゆえか1度気にしてしまうとか、
間違っていると思うとそれを器用には流せないのだ。

母親である彼女は、自分の子供のことを父親のように口出されることに
プライドが傷つき我慢がならなかったのだろう。

ある日、子供のしつけの問題でHさんはこれまで積もり積もったものを爆発させて、
彼女と大喧嘩をしてしまい、そのことが原因で
夫婦といってもいいほどの年月を経てきた長年の関係に終止符を打ってしまったのだ。

その直後は、俺にもHさんは仕方ない。俺は許せなかったとかすっぱり割り切っている様子にも見えたのだが、ショックで一時は飯を食べれないほどまで落ち込んでいたことや、
今もものすごく引きずっていることを最近になって知ることとなる。

最近飲んだ時に、彼女の夢を見た話をしているさみしそうなHさんの表情を見て、
Hさんの生活は、彼女の存在があることで安定が保たれていたんだなと
あらためて気づかされた。
Hさんはプライドも節度がある人なので、家に強引に会いに行ったりするタイプではない。
それだけに、そのもどかしさがこちらに伝わってくるのだ。

俺は、これまでにHさんからは感謝してもし足りないほどの世話になってきたし、
公私ともに面倒を見てもらってきた。
俺がHさんになにか返せるとしたら、それはなんだろうか?と考えてみた。
Hさんにとってなにが一番喜ぶだろうかと。

俺は、本来は男女の事には口を挟まないし干渉もしないタチだ。
今まではそれが野暮な事だと思ってきたが、
Hさんのためになんとかしたいという気持ちになった。

もう一度、あの頃の幸せそうなHさんに戻ってもらいたい。
それがせめて俺ができる恩返しだ。

彼女にとっては、それは迷惑なことかもしれないが、
ここはHさんと彼女がもう一度話し合うチャンスを
共通の人を通じて与えてもらうべく動こうと思っている。

10年以上も付き合ってきた仲だし、別れの原因は彼女の事でもない。
お互いに憎み合って別れたわけでもないだろう。

それだけに、まだ芽があるんじゃないかと客観的に見て思うのだ。

もし話し合って元鞘に戻れる可能性が、数%でもあるのならば俺はそこに懸けたいと思う。
今のHさんを見ていると、このままだと何年引きずるかわかったものではない。
これ以上、見ていられない気がする。

たとえそれがかなわなくても、Hさんには納得する話し合いをしてもらって
ラガーマン精神で完全燃焼してもらいたいのだ。

というわけで、ここは頑張ってみるつもりだ。
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# by masa3406 | 2013-02-10 09:41

バー

仕事でとある駅に行ったので、帰りに駅の近くで
俺が留年していた時の学年の同級生が経営しているバーにフラリと寄ってみようと思った。
そこは彼が大学を中退して、老舗のバーで何年も修行した後に独立した店だった。

ここはメニューがなく、そいつが常連になるとニーズを覚えていて、
その客の好みに合ったカクテルを作ってくれる。
雰囲気も照明が暗めで大人の落ち着いた雰囲気で、本格的なカクテルを飲ませてくれる店だ。
つまみの類は一切置いていない。

生ビールと焼き鳥やモツの煮込みなどの庶民的なつまみが大好きな、
飲みながら食べる型の俺にとっては、家から遠いこともあるが、ここになかなか来る機会がない。

久方ぶりに駅から程近い半地下にある店に着くと、以前から変わらないカウンターに立つ彼の姿が見えて
懐かしい気持ちになった。
時間はまだ7時頃と早かったせいか、カウンターに座るお客さんは1人しか見えない。
この早い時間帯なら彼と色々話せそうだ。

薄暗い照明の店内によお!久しぶり!と勢いよく入ると 
○○さん!お久しぶり!と彼がそれに応じた。
開口一番になんか疲れてるでしょ?
と言われる。

昨日も会社の近くで同級生と昼飯を食べた時に同じことを言われたけど、
自分では、特に疲れている意識はないのだが、
俺の顔はそんなに疲れているんだろうか。
この暗めの照明の中で俺の顔色までわかるんだから、さすがは普段客商売をしている人間だと感心する。

そこからは、同級生のあいつは何をしてる?最近同級生の誰と会った?という
俺がいま一番聞きたい質問を矢継ぎ早に彼に投げかけた。

彼は店をやっているので、ここにいろんな同級生が顔を出していくらしく、
決まった奴とだけ付き合っている俺と違ってネットワークが広い。
俺は、都心の学校だったのに
なぜか、自然に濃い付き合いが続いているのは、
同じ下町出身の同級生。ローカルネットワークと言っていいような人間関係ばかりだ。
ここは山の手にあるせいか、俺には付き合いが途絶えた山の手系の人も多い。

東京は地方の人から見たら、地方出身の雑多な人間が集まっていると思われがちだが、
高校までの人間関係はハッキリとした、地域性や環境の似通った東京の中でも細分化された
コミュニティーの中で暮らしている事が多いものだ。
そこには東京ローカルなコミュニティーが存在するのだ。

みな地域地域の育ってきたノリや共通の空気感があり、各々地元意識が有り
その近しい人間同士が引き合って交遊することが多いものだ。
もちろん育ちやバックグラウンドは無関係ではなく、
まあ、帰る方向が同じで一緒に帰る頻度が高いことも原因の1つとしてはあるのだろうが。

卒業後の俺は、より下町の人間になっていると言ってもいいかもしれない。

彼の口から出てくる名前 出てくる名前、非常に懐かしい。
卒業以降か浪人時代以降会っていない奴ばかりだ。

俺は留年してこの学年に落ちて来てからは、非常にこの学年によく溶け込んでいたし、
当時、よくそれをみんなから言われたものだ。
しかし、あんなにいろんな奴と仲良くしていたのに、大学で地方に行ってからは、
全く遊ぶこともなくなり、いつしか交流が一部以外とは途絶えていた。

いつも学校の帰り一緒に帰ったり、たまに集まって遊んでいたグループとも、
今は交流がなくなっていて、彼らの動向も知らなかった。
俺の場合は、留年してこの学年に落ちていたので、
卒業してからは、小学校から一緒だった元の学年の奴の付き合いの方が、
メインになったのもあるとは思う。

俺はその時代は非常に楽しかったので、会うことがなくなったみんなとの交友関係を
『過去』として意識的に扱い、忘却の彼方に置いたわけではなかった。

むしろ、みんなと和気藹々と楽しく、とても幸せな時期だったと言ってもいいかもしれない。
ただ、なんとなく会っていなかったし、特に積極的に連絡先を聞いてという熱意はないけど、
いつか機会があれば会いたいものだなぁ。と心の片隅では思ってはいた。

彼の口から出てくる名前に おお!今はどうしているんだ?と1人1人聞いていくと
底抜けに明るいムードメーカー的な存在だった奴が、実はここ何年も引きこもっていた話や
同級生が実は薬で捕まっていた話や、事業で失敗してあわや自殺まで追い込まれた同級生が
いたことを聞いた。
それらには意外すぎて、驚いてばかりだ。

反面、検事になった奴や有名な医師や弁護士になってバリバリ働いている奴、
獣医や歯医者を開業している奴
有名企業に勤める人間もたくさんいて、進学校だっただけに
その後も社会で活躍をして優秀な人生を歩んでいる人間も多いようだ。
俺が仲良くしていたやつも、有名な新聞社や有名な商社に勤めているらしかった。
確かに俺みたいなどうしようもない奴は少数であろう。

俺のもともといた学年もそうなのだが、最近はみんなSNSを用いた交流が活発化していて、
そこで近況報告をしたり、同級生で集まったりよくしているんだそうだ。

あれ?俺は集まりに全然呼ばれてねえぞ。と言うと
○○さんもフェイスブックをやりなよ。
みんな○○さんの連絡先がわからないんだよ。と言われた。

フェイスブックやりなよ。
これは最近人によく言われることだ。

実はフェイスブックは、名前で登録することが多いことを聞いていて、
親しくない奴まで近況を知られたりするのも、
どうも面倒くさいなと以前から抵抗感を持っていて、
それで俺は気が進まずにやっていなかったのだった。

もともと俺は、ネットで匿名でなくなれ合うのが苦手で、ミクシーもすぐにやめてしまったくらいだ。
知った者同士だと、自ずと無難なコメントしかできなくなるのが、
そこはかとなく俺には苦しい。
お約束の展開の予定調和的な、プロレスでもしているような気分だ。

俺はプロレスではなくガチがしたい。

ああいう周知の環境だと、俺が例えばここのように本当に自分が思っているような、
本音が書けないので、なんとも居心地が悪いのだ。

また、あれが始まるのかと思ったら、どうにもこうにも敷居が高い。

俺があまり乗ってこない様子を見て取ったのか、
そいつが そうだ!○○さん いまここで電話番号書いて行ってよ。
同級生が来た時にここから電話するよ。と紙を手渡され携帯番号を書かされる。

話している途中に、彼が雇っているバイトの人が出勤してきてカウンターに入って、
ほかのお客さんの対応はしていたものの、
さらに常連客風の人が何人か入ってきたので、
いつまでも俺が独占しちゃうと悪いなとここでお暇することにした。

彼が丁寧に外までお見送りに来てくれる。
彼はいつも、こうして外まで見送りに来る。
接客も出すぎず程よい距離感で、店がカクテルの腕以外でも続いているのがわかる気がした。
とくに女のお客さんには、その話を聞いてくれるやわらかい雰囲気がいいと思う。

高校時代は、いつもダルそうに授業中寝てたり、普段の立ち振る舞いも
重力に負けたアンニュイな雰囲気を持っていた彼を見て、
こいつは絶対に将来サラリーマンにはならなさそうだと思っていたのだが、
こうして天職とも言える仕事を見つけて、仕事を全うしているのだから大したものだ。

帰宅して夜中の24時頃に見慣れない着信番号から電話が鳴った。
なんだろうと出てみると、それは仲良くしていたグループの奴だった。
たまたま同級生の店にいま来ているらしく
すぐに俺の話になりかけてきてくれたらしい。

最初はやけに敬語なそいつに、懐かしくて昔のあだ名で何回も俺は呼んだ。
今は結婚して子供もいるらしい。
今でもそのグループとよく集まっているんだそうで、
ぜひ来てくださいよ!
それじゃあさっそく企画しますから。と予定を立てられてしまった。

軽い気持ちでバーに立ち寄ったら、思いがけない展開になってしまったようだ。
こういうのも何かの縁なんだろう。
今年は、決まった交友から出て、また昔のように同級生と付き合っていこうと思う。
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# by masa3406 | 2013-02-09 09:56

脱サラ

去年年末、ちょうど俺が転職をした頃だろうか、
突然大学時代の友人が飲食店を始めたいと言い出した。

友人は、ラーメンやうどんをこよなく愛していて、
大学時代から俺とも数限りなく一緒に食べに行っているのだが、
始めたいのは全然関係ないテイクアウト専門の洋の焼き菓子の店なんだそうだ。

ほかにもホットサンドを提供する予定なんだそうだけど、
友人がそこまで焼き菓子が好きであったという話も
お店を始めたいということも、今までの交友関係で1度たりとも
聞いたことがなく、突発的な思いつきの印象が否めなくもない。
おまけに彼は素人だし飲食の業界にコネもツテもないのだ。

これまで散々食べ歩きをしてきた、ラーメンやうどんなら、まだ動機がわかるのだが、
開店資金もほとんどを借り入れないとならないらしく、
どこかの店で修行をするつもりもないらしい。

着々と貯金をするなり準備をしてきた感はなく、
構想を練っていた感はなく思い立ったのだろう。

俺は最近、格闘技の裏事情に関する本を読んだのだが、
その本には引退をした格闘家が現役時代に食べ歩きをして研究し、
ラーメン店での修行期間を経てから、
ラーメン屋を開店をした記事が書いてあり、
何をするにしても、自分で飲食店をやろうと思うなら、
そういう一定の準備期間って必須だよなあ。と思う。

前にお好み焼き屋を開店した元プロ野球選手の店に食べに行ったことがあったのだが、
そのプロ野球選手は現役時代から、とにかくお好み焼きが大好きで、
遠征で各地に行くといろんなお好み焼き屋で食べ歩いて、常日頃から研究をしていたんだそうだ。
訪れた店の味は確かに美味かったのだが、にもかかわらずそれから数年して閉店してしまった。

これが資本を出してプロを雇って完全に人に任せる実業家なら、
作る方の修行までは、いらないのかもしれなけど
彼は自分で作って売るのだ。

前から彼には漠然とした起業意識はあるのは知っていたけど、多分、今の会社をやめたい。
サラリーマンをやめたいんだろうな。と思った。
脱サラが動機なのだろう。
確かに俺も彼のそんな気持ちはわからなくもない。
サラリーマンである以上は、この人に使われる生活からいつ解放されるのだろう?
と誰しもが抱きがちな永遠のテーマであるからだ。

でも、彼の勤務する会社は業績も良く安定はしているし収入は低くない。
俺からしたら、この就職難かつ不景気の時代にそれを捨ててしまうのはもったいないとは思うし、
彼には妻子もいる。
お勧めはできないなと思う。

だが、ちょこちょこ来る相談のメールの文面が、
彼の心が踊っていて生き生きしているのが、手に取るように伝わってくる。
こんなに生き生きしている彼には久しく会っていない。
だけに無下に言えないものがある。
否定してしまったら、彼の顔が死んでしまうことは想像に難くない。

去年、死んでしまった友人は食のコンサル関係の仕事をしていて、
生前に俺に言っていたのだが、
今の不景気で人は外食費を抑えがちで、
飲食業を始めたり継続して経営していくことはとても難しく、
もし始めるなら開店をして2年間は赤字か、たとえ自分の給料が出なくても、
その期間を耐えうるような、資金的な体力がないと難しいのだそうだ。

だけど、最近の特に脱サラをして飲食を始めるようなオーナーは、
すぐに利益が出て店が軌道に乗って、回転をしていくと予見をしがちで、
利益が出ずにそこを乗り越えられなくて、閉店に至ってしまうケースが
多いのだそうだ。
飲食業で成功しようと思うなら、軌道に乗るまでも試行錯誤をしたりする期間が必要らしく、
それだけ甘くなくて難しいんだ。ということを生前の彼は俺に伝えたかったのだろう。
彼はよくそれを話していたものだ。

どうもそれが今回の友人のケースにぴったり当てはまるように思えてならない。
こんな時に、プロのその友人がいたら、びしっと相談に乗ってくれていたんだろうけど、
亡くなってしまっていまや不可能だ。

洋菓子というものはセンスが出てしまうから、ある感性は必要だし
本来は修行をしたほうがいいジャンルであろう。
ジャンクフードを作るのともまた違う難しさがある。
地域性にもかなり左右される。

よほど中毒性の高いやみつきになるような味を作れないと、
たくさんは定期的には売れないであろう。
お菓子は必需品ではないので、熱心なリピーターをつくらないとならない。
洋菓子で東京で勝負していくのは、なかなかのハードルの高さだと思う。

他にも洋菓子も提供する、カフェで店長をしていた友人と年末に飲んだ時に
内容を話して聞いてみたけど、
うーん。難しいんじゃないの。と難しい顔で言われた。

年末に友人と会ったのだが、
意外なことにも奥さんにその計画を話したらOKの返事が出て乗り気なんだそうで、
3月に会社を辞めて、本格的に取りかかかるつもりであるとのこと。
多分、奥さんには反対をされるだろうなと思っていたのだが、
思いのほかそれは違っていたようだ。
もう後戻りするつもりはなく一直線の様子で、これまではアドバイスと小出しに忠告はしてきたけど、
もはや、止めるのも野暮だなという雰囲気になってきてしまった。

家でとにかく沢山作って試行錯誤をすること。
できるだけ食べ歩きをして味を研究すること。
試食をさせてくれ。

と彼にアドバイスをしていたのだが、それからは作ったものの報告が頻繁に来るし、
前向きに取り組んでいて、なによりも彼がうれしそうなのが伝わってくる。

これは非常に難しいところなんだけど、人生は成功失敗は置いておいて、
何にどれだけ熱中して熱くなれたか。
馬鹿になって燃えるような熱く、濃密で充実した日々を送れたかも大事だと思う。

結果に対する責任やケツを拭かないとならないリスクはあるんだけど、
生きている充実感を得られるようなチャレンジができることって、
そうそうないことだと思う。
奥さんの承諾を得たということは、覚悟も決まっているのだろう。

難しい勝負に打って出る気はするけど、止めたいような複雑な気持ちは今でもあるのはあるんだけど、
ここは彼の気持ちに応援をしたいと思う。
俺も微力ながら、その洋菓子の食べ歩きをして研究をして、アドバイスをしたいと思う。
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# by masa3406 | 2013-01-04 11:13

新年

早いものでもう2013年になってしまった。
31日は、格闘技の試合をジム仲間と観戦して
居酒屋に行って氷川神社で初詣をして朝に帰ってきて、
昨日は夕方まで爆睡していた。

去年11月に俺は転職をしたわけだが、それからは慣れない生活と
夜のバイトとの両立とでくたびれ切っていた。
年末・正月はゆっくり寝たいなあとそれだけを渇望していたほど
毎日睡眠不足で辛かった。

今月から引き継ぎのリストを渡されて、正式に営業活動が始まるので、
大いに不安があるのだが、
なんとかしがみついていきたいと思っている。
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# by masa3406 | 2013-01-02 02:41

お通夜 2

これまでは、彼の亡骸を見ていないので、彼のことを話しながらも
生前の彼の姿を思い浮かべながらの話だった。

だが、ついにこの目で現実を受け止めないとならないときが来たのだ。

これでも随分見れるようにしたんですよ。
痩せて随分と変わってしまって。と奥さんは、
俺たちが亡骸を見る前にびっくりしないようにとの配慮なのか説明してくれた。

柩を覗くと、奥さんが言うように確かに生前の彼のイメージとは違って見えた。
それが痩せてしまったからなのか、どこがどう具体的に変わったのかは
わからなかったが、肌が荒れているし最後はとても苦しかったんだろうなあ。
というのが非常に伝わってきた。
まさしく大病を患った人の遺体だった。

俺は、心の中で 今まで友達でいてくれてありがとうな。と最後の挨拶をした。
いつかまたあの世で会おうぜ。
その時は、あの世を案内してくれよな。

顔こそは穏やかだったけど、最後の入院の闘病生活はさぞかし辛かったことだろう。
もしかしたら、この状態の彼と会っていたらそれはそれで辛いものがあったのかもしれない。

柩から離れて、2人で奥さんから亡くなる直前の話を聞いていたら、不意に涙がこぼれてきた。
とにかく悲しくて悲しくて涙が止まらない。
あいつの苦しい闘病生活が伝わってきて、かわいそうでしかたなかった。

今まで生きてきて、こんな気持ちになったのは初めてだったし、
あまり感情を見せない俺が、人前で泣いたのはこれが初めてのことだった。

今まで俺にとって、悲しさや悔しさで泣いている人というのは、深層部分ではどこか他人事だった。
俺は、きっとどこか共感能力や感情に欠陥があるのではと思っていたほどだ。

それが、初めて感情的な当事者になった。

それくらい、ただただ悲しかった。
俺は、親友の死で本当の悲しみというものを知ったのだ。

奥さんと挨拶をして部屋を出るときに、白髪の穏やかなご老人の奥さんのお母さんだという人と挨拶をした。
俺は、あいつは思い残したことはないと思いますよ。と言った。
旦那を亡くした奥さんの親からしたら、それはとても不謹慎な言葉であったかもしれない。

ただ、俺は生前あいつは、もうやりたいことはしたから満足しているとよく俺に言っていたし、
この世に未練や大きな悔いを残していないことを、友人としてわかって欲しかった。

あいつは、この世に未練を残してウロウロしているタイプの男ではない。
憐れむことなく、早かったけど人生を太く短くまっとうしたと気持ちよく送り出してやって欲しいと思ったのだ。

駅へと向かう帰り道、2人して本当にキツいねえ。と幾度ともなく口にした。
きっと本当に悲しいときは、そういう短い言葉でしか表現できないのだろう。

俺たちはできるだけ長く話そうと、あえて時間がかかる各駅停車に乗り、
途中で何回も先に行く電車に抜かされながら、家路へと向かった。

車中、俺は奴の生前の豪快なエピソードや奴の下ネタなど話し続けた。
こうして明るく話していないと、悲しい気持ちに押しつぶされそうだった。

楽しいエピソードに事欠くことはなく、友人は爆笑していた。
それくらいあいつは、この世でインパクトを残すほどに絶大なキャラや存在感を持っていた。
それだけに、失った人間たちの喪失感は大きかった。

ターミナルで乗り換えて途中の駅で友人が降りて行って1人になると、
急にまた悲しさがこみ上げてきた。
いつものように携帯でネットを見ても、頭に入ってこない。
ちょうど時間は夜のラッシュの時間帯で、車内は混んでいて座っている俺の前に立っている人達がいる。

俺は、静かに目を閉じると不意に涙が出てきた。
涙が止まらない。

まずい。

こんな混んでいる車内で男が泣いていたら、さぞかし異様な光景だろうと、
俺は下を向いたまま気づかれないようにそっと目をぬぐった。

駅から家までは、上を向いて歩いた。

有名な歌の歌詞のように、涙がこぼれないように。

翌日の告別式は、友人は列席できなかったので俺も欠席させてもらった。
あの長い道のりを1人で行って帰ってくることは、悲しさで耐えられそうになかったからだった。

友人の女性の友人が、辛くなるからお通夜には出席をしないと言っていた言葉の意味が、
身を持ってよくわかった1日だった。

親しい人を亡くすということは、本当の本当に悲しいことなのだ。

落ち着いた頃に、出席できなかった友人たちと彼の家に訪れ、
あいつに線香をあげにいきたいと思う。
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# by masa3406 | 2012-12-09 06:21