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悔恨

横浜に用事があり車で行った。
途中、東神奈川から新子安を抜けていくときに、国道沿いにマンションがいくつか並んでいる。
反対側は工業地帯だ。
俺にとっては、そこは複雑な思い出がある場所だった。

俺は、大学時代に仲良くしていた友達が何人かいた。
その中で、神奈川県出身のバンドをやっている長身のAという友達がいた。
Aはバンドや音楽に対してとてもストイックで繊細な性格の奴だった。
そのバンド仲間のB・C・Dとも俺は仲良くしていたのだが
彼らはみな、Aの持つ繊細さに気遣いながら接していた。
ある部分は、腫れ物に触るように接していたような感もあった。
俺も、その当時はその空気を読んで近しさの中にも
気遣いを持って付き合っていたと思う。
時にAは思い悩むと、酒を飲んでアパートに引きこもることもあった。
俺には、ほかにも仲良くしている友達がいたので
そこまでべったりとした友達関係ではなかった。

外見は中性的な長身のイケメンで、学内外でも女にとてもモテていたが
本人はそれをあまり自覚していない珍しい奴だった。
何人か学内の女に付きまとわれたりして、イケメンも色々と辛いんだなあ。
と思った。

やがて俺たちは2年生になったのだが、Aは音楽の作曲をやるために
音楽の専門に通いたいと、大学を辞めアパートを引き払い実家に帰っていった。
俺とAとの付き合いは、趣味なんかも合い時にブラックジョークを飛ばすセンスなんかも
好きで、その後も続いていた。

やがて俺も大学を卒業し、
そのころのAは、横浜のアイスクリーム屋で契約社員で働いていた。
同僚はA以外は全員女の子だという。
そんなバイトを選ぶなんて、中性的なAらしいなと思った。
Aは通った音楽の専門を卒業して、仕事以外は一人部屋にこもって作曲の
創作活動をしているようだった。

そんななか、Aの親父さんが定年退職して実家ごと故郷に帰ることになり
実家が九州の方に引っ越していった。
Aは親に買ってもらったマンションで、1人暮らしを始めた。
末っ子で、母親にかわいがられて育った奴で、繊細なAのことだ。
孤独な作曲活動の生活で1人で大丈夫かな?と内心その身を案じた。

Aは、その内向的な性格が故か、
高校時代以前の地元友達との付き合いも少ないようだった。
細々と付き合っていた、唯一の友達とも
一緒に合宿免許に行ったときに些細なことで喧嘩になり、
それで関係を断ち切ってしまったと話していた。
俺にしてみたら、え?そんなことで友達関係を切っちまうのか?
と思えるような些細な事だった。
その時に付き合っていた同じ売り場の18歳の女の子とも、本当に些細なことで別れていた。
浮気をしたわけでもない。致命的なことがあったわけでもない。
相手はまだこの間まで高校生だった子供なんだし、許してやればいいのに。
と思えるようなことだった。

大学で、あれほど仲良くしていたバンド仲間の家に
俺が遊びに行くときに、一緒に行こうぜと誘ってもかたくなに来なかった。
大学のときは、そいつの家に入り浸り仲良くしていたのに
俺には、その態度が不思議でならなかった。

そんなAを俺は、過去をすっぱりと消去していきたいのか、あまり過去や
人間関係を大切にしない奴なんだなあ。と思った。
自分の中の価値観や規律と違うと、許すことなく排除してしまうようで、
潔癖症なのか、難しいところがある奴だなと思った。

俺は繊細ではない、がさつな奴だ。
いつ地雷を踏むか分かったもんじゃない。

そして、その時は突然訪れた。
その頃、Aはより音楽活動に専念したいとちょうどアイスクリーム屋の仕事をやめていた。
そんな中、俺は横浜スタジアムで野球でも観戦しようぜ。と誘った。
横浜ベイスターズ対Aが熱心なファンの阪神戦だった記憶がある。
野球を観戦してから、2人で横浜のボウリング場に行き
帰りにAが遊びに来いと言うので、電車に乗りAの自宅マンションに寄った。
Aは自らパスタを作ってくれて、俺はそれを堪能した。
今までにも何回かあった、いつもの交遊で
俺は、今日は楽しかったな。なんてことを思いながら、
Aに駅まで見送られ京浜東北線で帰宅したと思う。

それが、俺がAと会った最後の日になった。

その翌日から、俺がAに電話をしても一切電話に出なくなってしまったのだ。
なにか喧嘩をしたわけでも、何かをしたわけでも
何かがあったわけでもない。
Aは当時携帯を持っていなかったので、家電の留守電に
入れても、それでも連絡がつかない。
俺には、寝耳に水で何が起きたのか理解できなかった。

ただ、1つだけ思い当たらないこともなかった。
その日、Aがこの間CDを売りに行ったと話していたのを思い出した。
Aは、とてもCDを大切に集めていた。
仕事を辞めて、それを売るほどお金がないのに、
俺が無神経に遊びに誘っていてそれをAは
断れなかったんじゃないだろうか?と思ったのだ。
パスタを作ってくれたのも、考えようによっては外食費をかけたくなかったのかもしれない。
もしかしたら、ほかにもあったのかもしれないけど
何か俺が、地雷を踏んだのは確かだった。
そして、それまでの交遊同様に過去のものとして消去されたのだと思う。

こうなったのが女なら、即座にまあしょうがないな。と俺はあきらめるとこだが
俺たちには、友情があったはずだし、いったい何があったんだ?
なにかしたのか俺は?と気になって仕方がなかった。
なんせ、今まで友達関係が切れたのが初めてだったので、
その現実を受け入れられなかったのだと思う。
それから、1年くらいは気になったときに連絡を試みたけど
ついにAは電話に出ることはなかった。
俺は、性格的に強引なタイプではない。
さすがに家まで訪ねていく選択肢は、俺にはなかった。
やがて、俺も電話をすることはなくなった。

それから、こうしてそいつの住んでいるマンションの前を通ると。
あいつは、あれから元気にしているのかな。
作曲家として生活をしているのだろうか?
悪いことしたなあ。と
車中からそいつの部屋を見上げてしまうのだ。

元気でいてくれたらな。と思う。
by masa3406 | 2009-08-12 04:06


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