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精神的な理想の限界

今年は無職期間が長く、なにもできなかった時期が長く
いろんな友達との飲み会も控えていたので、
年末である今月は、毎週飲めていなかった友達との飲み会だの予定がいっぱいだ。
それが俺が、今年やり残したことだったのだろう。
我慢していた分、俺も寂しかったのだと思う。

今年、一番感じたことは
金がないことで生活その他でいろいろと制限をされて、生活において様々な部分で
かなり我慢や制限を強いられた1年だったということだった。
自分にとっては、ここ何年かではかなり辛い1年だったと思う。

幸い、俺は感情的な振幅がさほどない人間なので、
精神的には、まったくどうなることもなかったけれども、
金もないし付き合いもままならず
ある部分、人を遠ざけざる得ない非常に不本意な年であった。
せっかく誘ってもらったのに何度お断りしたかわからない。

俺はプライドが高いがゆえに人には弱みを見せたくない人間であるようで、
逆境でも会う友達とは、いつものように楽しく会話をしていた。
まあ、その時は俺もいつものように能天気になり楽しいわけで。。。
だから友達の誰も、俺がそんな状況にあったことは知らないと思う。

小中高でも、少なくとも学校では人前では泣いたことは1度も記憶にない。
遡るなら、泣いた記憶は幼稚園の時なのだろうか。
幼い時からだから、とくに徹底してそうしようと思っていたわけではない。
それは、単純に俺の母親が徹底して弱みを見せないことに似たのかも知れない。
俺は母親とは不仲であり、あまり好きではないのだが、
少しでも結果的に似てしまうとは皮肉なものである。

以前もレスしたが
俺は俺でありたい、自分らしく生きたい
自分のペースや自分の枠を大きく出たくない
向かないことはやりたくない
と思って生きている、単にプライドが高く非常に頑固で
不器用な人間なのだけれども
その自分らしくあるためにも、最低限のお金がないと
それですら困難であることを思い知らされた1年だった。

俺は、スタイリッシュに精神の理想だけを求めて
あれはいやだこれもいやだ。
これは俺の生き方に反する。
これは俺の性格には合わない。できそうにない。
と妥協せず我慢をせずに気ままに選択していたら、
厳しい現実の壁にぶつかったのだ。
それは、実力も伴い金を得ている人間が、初めて選択できる選択肢なのだ。

世の中、すべてがお金であるとは言いたくはないけれども
資本主義の世の中では、最低限の金があって初めて物事が成り立ち
それに抗うことは難しいようだ。
最低限のお金があり、生活が成り立っている人間が
世の中お金じゃないと言えるのだと思う。
悲しいことではあるけれど、最低限のお金もいろいろなものを維持していくためには
同じように大事なのだ。
最低限のお金は、ベースになる部分で土台なのだ。
建物で言う基礎みたいなものだ。

身近なまわりを見渡してみれば、友達は仕事や奥さんやら彼女やらとの
生活の中で生きていて、
いつまでも自分が自分であるために
自己に執着して生きているような人間は、ほとんどいやしない。
俺はダメ人間なくせに、スタイルを崩すことがなくかっこつけなのだ。
認めたくはないが、金銭的に恵まれた甘やかされて育った
弊害でもあるのかもしれない。
俺はいまだに精神的にはぬるま湯なのだろう。

みんな、自分の殻に逃げることなく
配偶者や仕事の環境との協調の中で生きて、
そこでもまれてなにがしかの成長をしていっている。
彼らには大事なのは、自分の精神の理想よりも
現実的な2人の生活なのだ。

ようやく仕事を始めたけれども
これまで精神的な自由さの理想だけを求めて
仕事から逃げ、女からも逃げ、染まることをかたくなに拒み
楽な道を選んで来た分
俺だけが年齢と不相応に精神的に幼いのだ。

この自分を捨てない俺スタイルも、そろそろ年貢の納めどきなのかもしれない。
もう、破綻がそう遠くないうちに訪れる気がする。

妥協、協調、我慢

これを来年のテーマにしていきたいと思う。
by masa3406 | 2009-12-13 06:54


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