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閉塞社会

スノボーの選手が連日袋叩きに叩かれているが、
やはり日本は、全体主義の国だなあとつくづく思った。
村社会で出る杭は必要以上に打たれるのだ。

わかるんだが、そこまで大げさに叩くほどのことなのだろうか?
ニュースやネットを見ていても、まるで彼は人殺しか
重大犯罪でも犯したかのような扱いようじゃないか。
とさえ思う。

若者の若気の至りの些細な事柄。些細な過ちに対して、
あまりにも、いい大人たちが寄ってたかって大げさなのだ。

なにを隠そう、俺もそれくらいのときは金髪で髪を立てていて
部活の顧問がなくなったときも、そのままその頭で列席していた恥ずかしい過去もあり、
人間として分類分けをするのなら、きちっとできない人間の方であった。
それは若気の至りでもあり、勉強面での挫折もあり、
親との関係もうまくいかずにいろいろとうっ屈していた俺には、
当時は、さまざまなことに対しても反抗的であったと思う。

友達でも昔そういう時期があったり、
ジムの仲間や若手がタトゥーを入れていたりするのを見てきている俺には、
若いなぁ。そういうお年頃なのだなあ。とニヤリとしてしまうような些細なことだ。
それよりも、いいおっさんがとんがっていたり、不良を決め込んでいる方が
俺には痛々しく思え、今でもそれを苦々しい目で見ている自分がいる。

だから、そのスノボーの選手の心情はどこかわからなくもない。
とんがりたい、なんかしらの理由や問題が彼の中にきっとあるのであろう。

もちろん、国を代表していてTPOを守らないとならない立場もある
人間のすることではないのは確かであり、肯定はしないけれども。

オリンピック出場にまでなると公人になってしまうところで、
ただの若気の至りでは済まされない。そこが難しいところなんだろうけど
よくある若者の些細な過ちに対して、
叩くにしても、もう少し社会も懐の深さみたいなものがあってもいいように思う。

これは会社組織でもそうだけれども、日本社会は一度でもマイナスのレッテルを貼ると、
それを覆すことは、ほとんど不可能に近い社会だ。

日本は典型的な減点方式の社会であって、些細なトラブルや行動や一回の失敗で
それまで積み上げてきたことや信頼や評価が一発でパーになることは
往々にしてあることでもある。
だから、日本人は何か問題が起きた時に隠しがちでもある。
今回くらいのことでも、間違いなく今後とも問題児のレッテルを貼られ
その烙印を押されてしまう。

日本人特有の人や物事をネガティブに見がちな、
閉塞的な日本社会の非常に恐ろしい面でもある。
一度失敗をしたりはみ出してしまうと、リカバリーがきかずに
悲観的に自殺してしまう人が多いのもわかるような気がする。

日本人は、元来 村社会であり、あいつがああである。こうである。と
他人の噂話をしたり他人の悪口を言うことが根っから大好きな国民性だ。
ちょっとしたことが、大問題に発展しがちであるし
日常の社会ニュースを見ていても、絶えず誰かしらのスケープゴートがいて
やり玉にあげられ、吊るしあげられ叩かれている。
時としてそれは、サディステックにすら思える。
政治家の金の問題は叩くに値するので、別としてもだ。

ヨーロッパなんかは、個人主義でわりと他人は他人に無関心であり、
ある程度は放っておいてくれるのとは対照的だ。
オーストラリアで働いた友達も、日本の方が
職場でも他人を気にしてあれこれと批評をする、
相互監視社会であるといみじくも語っていた。
日本は、何かと生真面目で息苦しい社会なのだ。

朝青竜の件や今回の件を見ても、
やはり日本は、過ちを犯したりはみ出すとそれを許さない保守的な土壌であり、
閉塞的で生きづらい社会なのだなあ。と思う。
昔から、両親に日本の社会は、お前には合っていないと言われて育ってきたが、
こう思う俺は、やはりそうなのかもしれないな。
と思った。
by masa3406 | 2010-02-13 06:01


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