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東京マラソン

8月で締め切りの東京マラソンに駆け込みでエントリーしてみた。

そうなる心境にいたった理由として、
野球部時代の友達にマラソン愛好家の奴がいること。

去年、フジテレビの平井アナウンサーが参加にいたるまでの
練習や過程 当日のドキュメントをフジのスポルトで見たこと。

先日の24時間テレビのはるな愛のちんたら歩いている走りを見て
そのハードルの低いレベルに触発をされ、
ひょっとしたら、あんな連中でもやれるのなら
しっかり調整さえすれば俺でもそこそこはやれるんじゃないの?
と安易に思ったからだった。

中学2年途中までは勧誘されて入った陸上部だったし、小学生から人よりは速いほうだったし、
ひどいことにはならないのではないか。と思ったのだ。

高校のマラソン大会の時は、野球部に在籍していて
学年で好成績をあげたらOBに飯を奢るとの約束に釣られた単純な俺は、
すっかりやる気になってしまった。

その前の年は、俺は最初はやる気がなく
最後尾の集団とちんたらしゃべりながらジョギングをしていたのだが、
突然やる気になって裏切って最後尾から追い上げたけれども
ときすでに遅し。
24位までしか追い上げることができなかった中途半端な経験があった。

本気を出した俺はどれくらいまでいけるのだろうか?
と素朴な疑問もあった。
だが、餅は餅屋。
学校では都大会でも通用している陸上部が強く
また強豪のサッカー部の連中も速く
それを割って上位に入るのは、大変厳しいという現実的な問題があった。
そこで俺は、現実的かつ具体的な目標を10位以内に入賞に設定した。
あわよくば6・7位に入りたいという青写真を描いていた。

普段は野球部の練習で走ってはいたけど、それだけでは専門的に鍛えている奴らには到底及ばないので
今回は調整をしっかりとしてから参加しようと
当時住んでいた町の河川敷のコンクリートの歩道を毎晩走った。
陸上部時代は、ハードに追い込む練習ばかりで
心臓が苦しくて苦しくて走ることが苦痛でたまらなかった。
合宿もクロスカントリーも日頃のインターバルの練習も
ただただしんどかった記憶しかなかった。

陸上の中長距離は、レースは苦しく最後にいい成績でゴールしたときしか爽快感が得られなくて、
一番根暗なスポーツなんじゃないか。と思ったものだ。
ゲーム中も楽しみが得られる野球に中2から鞍替えした理由もそれだった。
だが、今回のこの調整はなぜか楽しかった。

そうして、当日を迎えたわけだが、この調整方法がレース後半でで思わぬ弊害をもたらすことになる。

会場は寒風吹きすさぶ、木々も枯れた荒涼とした東京都下の河川敷のコンクリの歩道だ。
前回と違って、これに懸けている俺は気合が入っていて口数が少なく
緊張もしていた。

そしてレースが開始された。
今回はスタートからちゃんと走り、順調に先頭第二集団のやや後ろをキープした。

先頭集団は、陸上部とサッカー部で構成され、そのペースは速くさすがに奴らは別格だった。
あれに挑むのは無理だ。
ついて行ったら途中で体力ゲージを使い尽くしてしまうのは明白だった。

俺の前はだいたい10人が走っていて、俺もそれを把握していて
なんとか食らいついていった。
途中でそのままのピッチのままで抜きたいのだが、さすがはこのあたりにいるのは
日頃も運動部で鍛えている連中。
誰も脱落するものはなくアキレスと亀状態で一向に差が縮まらない。
ここでペースを上げたら、スタミナが切れて最後のスパートが効かない。
だから、そのつかず離れず状態で、最後のためにスタミナを温存していく
作戦に出た。
最後のゴール付近でスパートをかけてギリギリで入賞する作戦だ。

しかし途中から、俺は突然脛に違和感を感じるようになる。
心臓的には大丈夫なのだが、足の脛辺りの骨が走るにつれて猛烈に痛くなってきたのだ。

走りながら、なんで俺はこんな場所が痛いんだろうか?と思い返してみた。
思い当たることは、毎晩行っていた調整だった。
俺は、普通のスポーツシューズでコンクリートを毎晩毎晩走り続けていたので、
脛にダイレクトに衝撃が伝わり、知らないうちにその疲労が脛に蓄積していたのだった。

しかし、あの目の前の背中を抜きさえすれば俺は目標の10位以内入賞だ。
あいつは、俺の仲良くしていたバレー部の奴の友達の
動物園のサイみたいな顔をした隣のクラスの奴だ。
太っているくせに意外にしぶとい野郎だぜ。
奴を抜いて記念品もゲットだ。
痛いと思いながらも根性でそのペースをキープし続けた。

そして最後のゴール手前30メートルくらいになった。
勝負をかけるのは、今まさにこのタイミングだった。
そう思ってピッチを上げたのだが、痛みで腿が思うように上がらずスピードが大して上がらない。
足がぜんぜん思うように動いてくれない。
正直、心臓との戦いだけだと思っていたのでこの要素は大誤算だった。

次第に10位の奴の背中が離れていく。
そうしているうちに後ろからピッチを上げた激しい息遣いが聞こえてきた。

そいつは、野球部のチームメイトで普段なら負けたことがない奴だったのだが、
まさか俺は最後にそいつに抜かれて、最終的に入賞どころか12位になってしまったのだった。
結果的に、俺とそいつはOBにご馳走をしてもらえたわけだが
その結果を帰りの武蔵野線の車中で
高校生ながらにして、俺の人生ってこれからもこんなもんなのかもしれないな。
と思ったのだった。

東京マラソンは
競争率は32、000人に対して272、134人だから、9倍弱だ。
正直、かなり厳しいけど
もし当選することができたら、また昔のように無心で走ってみたいと思う。
by masa3406 | 2010-09-02 15:18


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