人気ブログランキング |

被災地訪問

東日本大震災・避難放送の遠藤さんを教材に
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120126/k10015558741000.html

の記事を読んで、
彼女が最後まで避難を呼びかける放送をしていた南三陸町に
去年7月に友人と訪れたことを思い出した。

どちらかと言えば死を覚悟して放送をしていたというよりは、
その高さまで津波が来ることを想定できていなくて、
職員全員残っていたのではないかと俺は実際に現地に行った時に感じた。

訪れた現地の様子は、さながら空襲後の焼け野原。戦場のようであった。
街が丸々ないのだ。
アスファルトは津波にすべて洗われて剝され、
かつて道路があった道はすべてパリダカールの道のような砂利道状態だった。

瓦礫こそは全て道沿いに山積みされてのけられていたけど、
レンタカーを借りて訪れたので舗装された道がないのでパンクが気になった。
建造物は4棟の大きなコンクリートの建物以外は、全て空襲の後の焼け野原のように
見るも無残に根こそぎなくなって、残骸と言うよりも根こそぎさらわれて遺構のみが残っていた。

さながら北斗の拳のようだ
ほとんど荒野なのだ。
違うのは、モヒカンがバギーでアッヒャー!と走り回っていない事くらいなもんだ。
信号なんかどこにもない。
こうなると、もはやライフラインもへったくれもない。

不謹慎だが、一瞬俺の頭の中に北斗の拳のテーマ曲が流れてくる。

土台からひっくり返っているコンクリートの建物もある。
それは、今まで生きてきて見たこともない、情け容赦ない阿鼻叫喚だった状況が伺える光景だった。
  
いったいどんな力でこうなるのだろうかと唖然とする。

とりわけその残っている大きなコンクリートの建物は、5階くらいの高さまで
浸水したような形跡があったことに驚かされた。

被災地の水に浸かったビルは、天井のありとあらゆる配管が下に垂れ下がっているのが特徴だ。
まさかこの高さまで水が達するとは誰が想像できようか?
現場で見ても、リアルにその高さまで水位が上昇したことが、痕跡の事実を見ても
信じがたい現実であり、助かった人は奇跡に近いと思えたほどだった。

自然の威力は、人間の想像のはるか上をいくものだと否応なしに思い知らされる。
津波が来たことは理屈ではわかるのだが、想像がついていかない。

彼女が避難を呼びかける放送をしていたという防災対策庁舎は、
港からやや離れたちょっとした丘の上にあり、茶色い鉄骨だけになって建っていた。
中身はスッカスカで何もない。
津波の高さが職員達の想像をはるかに超えていたことは、想像に難くない。
彼らも、理屈では知っていても想像がついていかなかったのだろう。

そこから俺たちは、かつて幾度ともなく訪れた女川町にも足を運んだわけだが、
向かう途中の鉄道の鉄橋が落ちて線路が下に垂れさがり、
沿岸部を走れば、道路脇には養殖のものであろう漁業設備や道具がことごとく打ち上げられている。

沿道に無数にある車は、あたかも巨大な洗濯機に回されたかのように
紙の箱を握りつぶしたかのごとく、くしゃくしゃに丸まっていた。
道中、そんな状態の車体をいくつも見た。
このように鉄を紙のようにくしゃくしゃにしてしまう、津波の威力に驚かされた。

女川町も同じように破壊しつくされて壊滅状態だった。
石巻線の女川駅もアスファルトが剝されたホーム以外は線路も駅舎も何もかも根こそぎなくなっていて、
ここがかつては駅であった事が信じられないほどの変わりようだった。
俺はかつて石巻線に乗ったことがあるのだが、その記憶が現実の事ではなかったかのように
さえ、今では感じるほどだ。

そこから宮城県第2の都市、石巻市も訪れたわけだが、
女川から市の中心部に向かう海沿いの街道筋にある民家や商業施設が
ほとんど1階部分が津波の威力でボロボロになるほどに破壊されている。

駅のほうの中心街も、こちらは破壊はされていないものの
1階すべてが浸水した痕跡があって商店街も壊滅的であった。
中心部なのに信号も復旧していないのか、点灯していない有様だ。

駅のトイレに行くために車から降りて歩くと、ハエがそこかしこに飛んでいることに気づく。
とにかくハエが多い。

そこから石巻漁港に車を走らせたわけだが、そこでその原因がわかった。
近づいていくにつれて腐った魚の悪臭がたちこめていて、
とんでもない数のハエが飛び回っている。
臭くて臭くてたまらない。
とてもではないが、車の窓なんか開けられたものではない。

周囲には破壊された漁業関係の加工工場や魚の冷凍倉庫が立ち並んでいて、
窓を開けていないのに、その一帯を走るだけで車の中はたちまち腐敗臭に包まれる。

原因は冷凍した魚が倉庫が破壊されたことで大量に流失し、
それが撤去されずに夏の気候も手伝い手酷く腐敗しているかららしかった。
それで蛆が湧き放題湧いて、大量のハエが発生しているのだ。

倉庫街の海に面した所を走ると、沿岸のコンクリートの上に
カモメの大群が何かに群がっているのを見た。
たぶん、そこに流出した魚があるのだろう。

道中、車のすぐ脇に歩いているカモメを見ると、丸々と肥え太っている。
毛艶も良さそうで、満腹感からなのか車に対しても警戒感が薄れているのか、
近づいてもすぐに飛び立つ様子がない。
毎日毎日食料が無尽蔵にあるので、彼らにとってはここは楽園状態なのだろう。

信号も壊滅状態なので、警官が手信号をしていたのだが
ハエ・悪臭・暑さのこの状況でご苦労様なことだと頭が下がった。

そこから帰るために仙台へ向かったわけだが、途中の仙石線の線路も流されているのも見えた。
何回か乗ったことがあるが、この海沿いを走る区間の景色は風光明媚で美しかったものだ。
また船が道に打ち上げられたままな状態なのも幾度ともなく目撃した。

道中、色々の県のナンバーのパトカーが走っているのを見かける。
全国から警官が応援に来ているのであろう。
岐阜ナンバーのパトカーの後ろをたまたまついて走っていたら、
松島あたりの大きな旅館に入って行った。
旅館の前には沢山の警察車両が停まっていた。
多分、この旅館を全国から集められた警察関係者の拠点として使っているのだろう。

松島あたりは、数々の松島の小島が津波の威力を弱めたらしく冠水はあったようだが、
美しい景色は失われてはいなかった。

仙台市に近づいた多賀城付近を走るとここも国道沿いが水に浸かった痕跡が沢山残っていた。

仙台に戻ってレンタカーを返し、俺たちは東京へと帰路についた。
帰りの新幹線の中で、疲れ果てた俺たちは深い眠りに落ちた。

去年の7月の段階で思ったことだが、被災地をいくつか通っただけだが
震災数ヵ月は頻繁に被災地の現状を報道していたマスメディアが落ち着いてしまい、
現地で現状を伝えるテレビクルーらしき存在は見られなかった。

また、人自体が少なくボランティア活動をする人間もひと段落をして帰ってしまい、
報道の通り人手が足りていない様子が見受けられた。

まだ倒壊したり浸水した家屋が、手つかず状態なのが過半数で、災害の被害は甚大すぎて
どこから手をつけていいのか。
元通りの復興まで何年かかるのか、ちょっと想像がつかない状態であった。

福島原発に被災地の現状
地震直後からしたら、マスコミが取り上げる頻度が激減しているが、
もっと発信すべきなのではないだろうか。
と感じた。
by masa3406 | 2012-01-28 15:55


<< お金 門出 >>